本日、施術中のお客様とお話をしているとき。
お母様が腰痛の相当に大変だったとき。
気功をなさる先生から気功を受けて改善したそうです。
それ以前に気功を始められたその先生から気功を受けたとき。
その際は、さほどの成果も感じられなかったことでしたが、
以降、その先生が修練して腕を磨かれていかれたのか、
この度のお母様の成果の現れがあったといわれます。
お母様も、できればもうちょっと頻繁に気功を受けてみたいと思っているそうです。
ですがその先生は、普段はお年寄りたちの集いの場などで引っ張りだこのようです。
そちら等で気功を施すなど忙しくなさっておられ、
月に一度ほど受けられるような。。。
人が体と向き合うとき。
少なからず身体のフィジカル面の先鋭化も図りますが、
同時にメンタル面にも向き合わなければならなくなる。
フィジカルとメンタルの両面が精緻に渡り妙に入ると、
なかに直感力が鋭くなってくる人もでてくるようです。
そればかりではありません。
ダンサーなどは舞台上で表現力が上がるのみではなく
「そこにその人がいる」と肯定的な気で注視させられるような
不思議なほど強烈な存在感を感じられるようなこともあります。
おそらく体の使い方といったフィジカル面で見れば、
多くの方が無意識に主に利用するような筋肉群は屈筋群に頼ることが多い。
体の前面部分の筋肉は神経の通りがいい分だけ感じ取りやすくなっている。
そのような目に見えやすい部分を、まんま、使って体をコントロールする。
このような体の使い方は、
関節の詰まりをうみだし、
力みで作業効率が落ちる。
それがうまく体を使う技を身につけるようになりますと、
自分の目には映らない体の「秘すれば花」といえるような部分の機能を発揮させます。
このような眼に見えない部分の伸筋群が体を支えますし、
身体操作をパワフルにこなすためのエンジンとして活躍。
それに伸筋群が生きることで胴体の広がりが維持されて
関節の詰まりが生まれないような動きをキープしている。
それで体内の気血の流れを促進する筋肉ポンプの力が活発化してくれる。
中国の気功を学んでみると、
気は血が運ぶと言いまして、
パワフルに気を送れる者は
自らの血の流れを制御する。
脳に送る血流も制御します。
それにより脳波をα波からθ波のような、
強い気場を生じさせるような磁性体モードを創りだすようになるようです。
もともと体は、体液は電気を通しやすい電解質状態を保つような伝導帯で、
体内の脊髄神経神経組織では、ちょっと信じられない程の電流が流れてる。
そのようなものを利用してみたり。
または、
気を送波するというときに情報を送ると言われるときもあります。
赤外線リモコン送信器のようになって情報を送り出してみたりするときは、
イマジネーションを豊かにディテールまで描き上げ観察する力が必要です。
『秘すれば花』の伸筋群が機能的に動かされるときにイメージが重要です。
それが動きのキーになる。
つまり身体操作が精妙な域へと入るならば、
それが自然に自らの気をパワフルに操れるような訓練にもなっているよう。
中国の少林寺などで、仏教の修行を越えて体を鍛え抜くことが、
それが自分の身心を見つめるエッセンスを発見できると考えたのも、
うなづけるような気がいたします。
身体操作の高い技を身に付ければ、
滾々と泉が湧いている気の源泉を見つけたようなものでしょう。
肉体年齢が進むに連れて、
ある人は年老いた感じとなり、
ある人は若さを保ち続けます。
その人の人生をどう充実させるか。
そこには若さを保てて動けるほうがいい。
今日一日、
体の不調や痛みをさほど気にせずにいられる。
若い時はそれがアタリマエだったのですが、
年齢が進むに連れて貴重だったと思います。
そのような差がどこで生まれるのだろうか。
先だってお客様にロイヤルバレエスクールのバレエレッスン中の映像を紹介していただいて、
そちらでレッスンをつけている女性の教師、およそ年齢は50代過ぎているものでしょうか。
ですが動きの優雅さや正確さ、軽やかさは、他の優等生の生徒さんたちに囲まれても引けをとらない。
引けをとらないどころか、凌駕しているとさえいえるだろう。
何気ない動きを見せられるだけで、動きの質の高さを目の当たりにしてしまう。
ちょっとした動きの中に、磨き上げられた美への強烈な創造性を追求する力が、
肉体年齢を超えた、これから何年も経過してもこの動きは衰えそうもないなと、
そう、納得させられてしまう。
こちらのバレエ教師の方も、
現役当時は相当にムリをして先端を走ったことだとお察しします。
ですがその当時の質のいい動き方の習得が後々の自分を支えてる。
すばらしいことですよね!
そして決まって私の知り合いの気の力を強く発揮できるものは、
「この女性から強烈な気が感じられる。気持ちいいな」と爽快感を感じている。
私も、まさに、そんな感触を得たわけで、
「でょ」といった感じです。 ^-^)
体の潜在する力を追求することが、
心を見つめるところまで至ります。
ひとつを極めれば、
その極めた眼力は、
他分野の域も見極める力となります。
そういったところも、
魅力的ですよね。
世の中には、生まれ持って直感力が鋭くて気の力が強い人もいるのですが、
身体操作を重んじなくて自らの潜在する身体能力の発揮ができていないと、
大変な状況に飲み込まれていく人もおられます。
自分の生命エネルギーが、ダダ持っていかれて、
枯れていく感じになるようで、つらいのですね。
身体操作を妙に入るといった修練をしつつ、
その基礎を元にしてちょっと気功の小周天やらスワイショウなり代表的な古典気功などを学ぶと、
なんとなく、効率的に使い勝手のいい気功の力などはだれでも身につけられるのではないか?
そんな気が致しております。
身内が体を傷めたときのサポートや、
自分がちょっと怪我をしたり腰が痛かったりしたら、
自助努力で改善ということもできる。
そんな自信を芽生えさせることができれば面白いですね。