最近、アドラー心理学系のメジャーな本が、続々と出版されていますね。
『アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉』
や『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』
など。
自由が丘のブックファーストに行ったら、この2冊でひとつの棚が占拠されていた。
すごい売れゆきなのでしょう。
私も、知人とこちらのアドラー心理学を、
ちょっと学んでみて、
今後のことに活かしていこうと考えていたのです。
ですがここまでいきなりメジャーになるとは。。。
対人関係上で、人は劣等感および優越感を持つことがあるだろう。
アドラーの個人心理学上では、
非常に大雑把に言えば、、、
『自分が好き、他人を信頼している、そして他人に貢献するのが大好き。』
その3つの思いのどれが欠けても幸せではないといいます。
自分が好きになれないのは、自信を喪失しているときです。
他人が好きになれないのは、自分の殻に閉じこり中です。
他人に貢献できなければ、感謝の気持を受け取る満足感とやりがいがない人生です。
そして劣等感について、アドラーは語ります。
劣等感は(優越感も)、
自分の面倒を自分でみることができないから
他人に助けてほしいと思う気持ちがあります。
よーく考えてみると、
劣等感を感じているときには、
誰かにこの自分の現状を助けて欲しいという、
助けを求めたい気持が芽生えてもいるのです。
私自身、大甘でした。
アドラー心理学を学び深められる前は、
劣等感を持つような理由が、
誰かに助けを求めようと考えていて、
そのような手助けを受けられるよう、
無力に期待してい続けていたようだ。
自力ではなく他人の力で、
楽に自分の希望が叶えたいという、
心の思いが出来上がっていたのだ。
そんな中で手助けがなければ最悪な気分でしょう。
よほど調子のいい環境が用意されていなければ、
自分が思い描いたほどの完璧な手助けは得られません。
そこに失望してしまうならば、勇気がくじかれていく。
自分で問題解決をしていく勇気を失ってしまった状態といいます。
劣等感も優越感も、
どちらも対人関係上では粗末なものです。
人間の能力は、劣等感や優越感などのような、
自分の評価をありのままに見れていないなら、
どちらもピークパフォーマンスは発揮できず。
過度のマイナスの自己評価も、
過度のプラスの自己評価も、
大事なのは自分中心に考え、
そこで止まっている。
そこから一歩踏み出すこと。
一歩を踏み出すための勇気。
そうすれば、相当な能力や才能が満ち溢れて、
問題にも堂々と自由闊達な自信の上でやりきれるだろうと思えてくる。
やりきった後に得られる満足感ばかりではなく、
問題に勇敢に取り組んでいるときこそが楽しい。
そのことに気づく。
他人で、すごいことをしている人がいたとすれば、
人はその程度のことはできるようになってるんだし、
自分の向けるべき満足できる仕事や取り組みの方へ
そういう力を振り向ければできないわけないですよ。
自分が好きで、自分の可能性を自分で信じてあげる。
ここが徹底できていなければ、
自分も自分を客観視すれば他人の始まりでしょうし、
他人を信頼しているというところも、
心のゆらぎが出てきてしまうでしょう。
自分が好きというのは、自己中心的ではなく、
他者を信頼する土台になるものです。
甘えで他人からの助力を得ようという気持を消した。
そのときに自分の頭のコンピュータがフルに可動し、
自立して生きる喜びや実感が得られます。
いま、この瞬間を生きている。
だから、「やったー!」という感動が大きいのです。
基本、アドラー博士のカウンセリングは
「甘えたことばかり言ってるんじゃない」ということを、
満面の笑みと優しさとウィットに飛んだ含蓄に飛んだズバッと短い核心を突く言葉で、
一瞬のうちに相手の内側に染み込ませてしまう。
言葉でだけの主張ではなかったのでしょう。
彼の「他人を信頼していて、貢献したい」という信念から、
気さくでフレンドリーな人柄で人に接してくれていたといわれています。
10歳までで、人はそれ以降の思考を決めてしまうといいます。
大人になり強くタフに生きるための学びが不十分であったとき。
そのような場合に、どのように対処していけばいいのだろうか。
アドラー心理学では、
そういう方法の解明をして実利がある対処を考案していった。
そこに実績が多大にあるから魅力的です。
自分の裁量で自立して勇気を持って生きている。
気を入れて波乗りをしているような忙しさです。
今を、目をカッと見開いて覚醒していますから
自分の体が蓮の葉の上に乗るかのようでしょう。
セルフゾーンに入ったともいうのでしょうか。
そこには劣等感も優越感もない。
そんな生き方をしたほうが、
気分がいいでしょう。
それにこれが、
成功するための、
正攻法ですよね。
そう変わりたいと思う人は、
私を含め、誰もがそう変わる可能性があると思います。
そのような考え方を、
やさしく定着させていくようなセッションをするには。
いくつもの条件があるでしょう。
知り合いに私よりも適材じゃなかろうかと思う方がいます。
私もアドラー心理学を学ぶから、
ご一緒に学んでみませんかと。
お願いをしているところです。
どのようなところが適材だろうかというと。
アドラー心理学を創始したアドラー博士のような、
知的な判断が適切に出来る。
私ならだらだらと要点をぼかすような言いようをするが、
頭の回転が早く流せることができる理系の頭があるので。
含めて「他人が好きで信頼していますよ」という気持が、
気分よく相手に伝わる素養や素質は天賦のものでしょう。
アドラー博士の自身が施したケースセミナーの本を読むと、
変化は、ときには一瞬のひらめきに似た短時間で起ります。
カウンセリングというと悠長なものに思えますが、
ときにはそういうものではない。
アドラー博士のジャンルが評価されるのは、
アドラー博士のファンでもある私は嬉しいです。
今後の、さらなる発展と普及を期待したいですね。