丹田は生命を蘇らせるエネルギーの源泉。その再起がかなえられたなら

骨盤は新しい生命を育むための大自然が創りだしたものです。
それと同時に、
すでに存在する生命を蘇らせてしまうエネルギーの源泉です。


【下丹田】と呼ばれる、おへその下に9cm程度で、そしてお腹の中に入っていく臍下丹田


このコアとか丹田とか様々な呼び名で呼ばれている部分が
最適な柔軟性と弾力を持っている場合には、
そのものが怪我等で危篤状態に陥ったとしても回復が望めるものだ。
ただ力なく虚脱した状態であったり、硬く石のような状態のこわばりがあったり、
または強烈な炎症があったりすると、その場合には諦めたほうがいいといわれる。


上虚下実という言葉がありますが、
体の上半身は虚という空気に馴染むような軽さを保ち、
体の下半身は実という大地に馴染むような充実した質量感を保つことが望まれます。
そのような下が重くて上が軽いという、だるまさんや起き上がり小法師さんと同じ。


そうであるから楽に機能的に胴体を立てることができるのですが、
それがいつしか上虚下実から、
頭部などに血が過度にめぐり実となり、
下半身に血があるも、その流れが滞り、
生命を生み出しづらい状態になったり、
自ら生命力を蘇生しづらい状態になる。


そのような日本人が多くなりつつある。
その傾向に歯止めが利かないようです。


たまたまYoutubeの映像で、
明治時代に生きた人を東洋医学鍼灸で治療をした人が、
当時の日本人の腹はしっかりと充実していたものだった。
だからよく治った。
今の日本人は、腹は虚脱が激しく観る方もない。
だからよくならない。


そのような言葉を述べていた。


実際、それは長年施術をする者達には、
実感として感じ取れてしまうところだ。


全体の割合でいうと、
それがかなり明瞭に。


悲観的なことのようだが、
それは同時に胆力を失った状態から、
復活していければ問題はなくなるのだ。


たまたま長年、施術をお受けいただいているお客様で、
特に身体の使い方について深く勉強なさっている方が、
数名、まさに、胆力を復活させていかれました。


当初は相当、大変であられました。
ただ、おそらく人一倍、
自分の体の使い方について正面から取り組んでおられた。
大変に積極的に自身で体の活かし方を考えながら、
失敗をしてみたり、成功してみたり、紆余曲折も。
とにかく自主的に挑み続けておられました。
私も少しはアドバイスをさせていただきましたが、
それをはるかに越える努力をなさっておられます。
そこは私にはとてもよく伝わってきております。


いったん腹の胆力が欠けてしまうと、
そこから復活する難しさは相当です。


それは自らがずっと胆力を失った状態しかここしばらく経験していなければ、
その胆力がなくなった状態が基準となってしまうからでしょう。


胆力が生命を蘇らせるような強さを発揮したときの爽快さは、
肉体面に快適さを与えるだけではありません。
精神的な安定につながります。


そのようなところを乗り越えていかれた方たちを目の当たりにして、
私はラッキーな場にいることができて嬉しい思いでした。



ただしそこまでリサーフェシングしていかれるためには、
ご本人たちがどれほどの努力をしてこられたのか。


私が語るのではなく、
その方々に語ってもらう機会があれば、
私は得るものが多いと思うのです。
私が何かを語ろうとしても、
私の都合で語っていそうに思われるから。
そのようなことの一切ないところからの、
体験をシェアしていただけるような場があればな。。。


プライバシーもありますから難しいでしょうが、
ここ数日、そのようなことを痛切に感じました。