私独自の発想ですが『海外の人たちとの健康格差』をリセットしたいん

先日、とあるロルファー(名前を出させていただいていいのだろうか ^-^;)の方のフェイルブック上での書き込みを観て。
下記のような書籍があることを知りました。
それ以来、ずっと気になっていたのです。



膜・筋膜―人体の張力ネットワーク


本書の概要は、 出版元の医歯薬出版の該当ページをチェックするといいでしょう。
http://www.ishiyaku.co.jp/search/details.aspx?bookcode=215400



私の仕事にとりましては良書です。


様々な筋膜関係の学術的な見方や施術方法の概要などの情報がコンパクトにまとめられています。
筋膜リリースを勉強なさろうとする方の基礎研究用のテキストと考えていい、位置づけでしょう。
もちろん、私どもにも役立ちそうです。
(※ただ、高額書籍故に、もうちょっと買うまで悩む予定です。あしからず ^-^;;)



購入はアマゾンでは、
一時的入荷未定いう状態ですので、
高額な書籍にしては購入者が多い?




徒歩でMARUZEN&ジュンク堂書店 渋谷店へ行ったのですが。


心なしか手技療法の本を書棚に置く数が減っていくような気がします。
新刊の出版点数が多くなっているのですから、
それを喜ぶべきことですが。


新刊は売れるので置くのでしょうが、
年数が経った本でも良書はあるのですが、
「あっ、こないだあったのに、なくなっちゃった!」という本が増えていて。


書店で良書とのご縁を結ぶ機会が、
徐々に少なくなるのでしょうね。


残念なことです。



また、いつもこちらの書店にて、気になる本があります。



ポケットチューター 体表からわかる人体解剖学


多様な画像と図解で徹底解説!表面から観察できる人体の内部のすべて。
とのこと。
人体写真に、イラストでデルマトームなど体表図が書かれていたり、骨格や内臓の位置が記される。
シンプルに、それだけの本。
版型がポケットサイズです。
なんだか見やすくてイメージ把握がしやすい。
一度欲しくなると、どーしても気になります。


それで買おうかと一年間ほど迷っていました。 ^-^;


ただ思わぬところで、お世話になっている知人から図書の購入をと勧めていただきましたので、
購入を決意しました。 


RYさん、ありがとうございました。  ^-^




余談ですが、
祐天寺に立ち寄りました。


そちらで、ここ最近、
仕事上のことで次の手をどうすればいいか。
真剣に悩むようなところがありまして。


私の仕事は基礎研究がなによりも大事。
ここは地味に地道に、
石に限りなくかじりつく。


同時に、成果がでる応用力は人に
育てられるものではない。
先生から結果や答えを知ろうとする癖が付けば、
頭がぼんくらになるという気持ちがあるのです。


無から有を生み出すまでのことはできませんが、
有からさらなる発展形にまで仕上げることなら、
私にだってできますから。



かなり私への影響力が強い方から、
「鈴木さんは本当に地道ですよね」といわれ、
つづけて「私にはそのようなことはできませんもの」と。


おそらくその人物は、地道なことをしなくてもいいようです。
きっと本人が思わないうちに、様々なことは模索為さられて、
楽しみつつ日々を積み重ねているため努力感を感じさせない。


それで十分、自分の道を切り開ける徳があるのだと思います。
私は、その方のなかに『  』のような力を感じ取ります。
いずれ、芽が出てきたときは、
加速し何かが起きるでしょう。


そのような期待の人生を送ろうとなさる方です。
不思議な魅力を身に備えているのです。



私には、そのような期待できるものではなくて、
どうも這いつくばりつつ進んでいく必要がある。
そのようにしようと、私の頭が固まっています。


それがいいか悪いかは横において起きまして。




ただ一つだけ、私が上述した知人に見習わなければならないと感じている事がありまして。


仕事の成果をだす「加速」をさせることです。


波にのるようなことがなければ、
私が地道に考えてきた施術法を、
多くの人に普通に選べるような
施術の選択肢のひとつにならず。


私は、ひとつ施術を研究していく上で明確な願いがあります。


昔の日本人はきっと身体能力上、すごかったんだろうな・・・
そのようなことに思いをはせることがあります。


ただ、それは昔の日本人の記録が克明に数値化されて伝承されているわけではなく、
一部の文章や江戸時代後期の限りある枚数しかない写真が伝えるに限られています。


だからそこについてはイメージ上のロマンを追い求めるというところで終わります。



問題はそこではありません。



日頃から、目を背けられない思いがあります。


海外の普通に暮らしている人たちよりも、
現代の日本人はずっと寝たきりになっている人が多かったり、
体力的に劣りはじめているようで姿勢の乱れも激しくなった。


それは私が海外の方の施術を数十例程度ですがさせていたき、
愕然としたことがありました。


筋膜リリースをする際に、
明らかに日本人よりもフランスだったりブラジルだったり台湾だったり、
という他国の人間たちの筋肉のリリースが楽で仕方がなかったのです。


今、鍼灸師をしている友人に、
「昔は、鍼を打てば即効で元気を回復する人間が大勢いた。
だが、今は、そんな人は一握りに減ってしまった」
という変化を聞いています。


圧倒的に、陰と陽でいえば、
今の多くの日本人は筋膜の硬化が著しい陰の性質に傾いてきてエネルギー不足。


それが海外でマッサージをしている先生から聞いた話ですが、
「彼らは昔の日本人のように、マッサージで劇的によくなれるんだよ」
とおっしゃられていました。


圧倒的に、体が悪いという人の中にも、
エネルギーが体のなかにありあまり過ぎて、
そのエネルギーのはけ口を求めるタイプの陽性の人間が多いそうなのです。


日本人の、エネルギーが不足してそれを補充するには、
どれほど多くの時間がかかることでしょう。。。


それに対して、
海外の相応に不調だといわれるものには。
元気すぎてエネルギーが有り余っていて、
それが原因で体調が思わしくない。
その場合は、過剰なエネルギーを抜けば、
ケロッとして体調が整えられていきます。
陽に傾いているものたちのほうが、
陰陽のバランスが非常に整えやすいのです。
自然治癒力がもりもり働いてくれるのです。


私は、昔の日本人の姿を、
海外の人たちに重ねあわせて見ています。


言葉の表現は適切じゃありませんが。
でも、感じざるを得ないのが
海外の人たちとの健康格差』です。


私が今の自分で考えうるところでは、
現代日本人の体を考えて開発した施術法を生み出したい。
そのような施術プログラムを創りださなければ、
現実問題として海外の人との健康格差を目の当たりにし続けなければならない。


それは、私には、つらいこなのです。


このような思いは、
具体的な検証を積み重ねが結果からの言葉ではなく、
まったくの個人的な思い込みなのかもしれませんが。


ですが私が接してきた海外の人の施術で得られた経験からは、
健康格差を感じているのは確かなのです。



日毎に、日本人の体調が思わしくない方向へ移行する形で、
そのような健康格差は開きがでてきている。
そのように感じられます。



それは、私には、耐え難いことです。



そういったことを是正させられるようなステップへ進んでいただけるための、
たたき台としての一石を投じようなことができればと思って。
それで地道な研究を積み重ねているようなところもあります。



そんな施術技術を作るかどうかも確かに重要です。
そのようなことといえるような『モノ』がないと、
人は関心を持って話を聞いてくれるほど暇はない。


そういうものですから。
がんばらねばならない。




ただ、、、
もし仮に、『モノ』が整えられたとしても、
今の私の考えを広げようとする方法で、いい?



そう思うと、どうも、、、
私が広げようとする方法も地道すぎて。
なんら広がらずに普通に施術を熱心にしている人がいた、
ということで終えていくような気がしてなりませんから。



また私なりには、無い知恵を絞る感じで考えているのですが。
多くの方にお披露目するための単品施術プログラムを作って広報していったり、
辻調理師専門学校を一部、模した形の施術の教育機関が必要と考えていたり。
自分で考えぬける力を持った施術ができる人を育てられる教育機関が必要で。
文章化すれば結構な行数のプランは語ろうと思えば語れると思います。
それなりに考えを練っていて。
心底、そうなったらいなと願ってまることも多々あるのです。


ですが、、、
胸の内ではいろいろ考えているが、
現状では絵に描いた餅でしかない。


内向的な私ですから、
踏ん切りをつけて考えたことを実践するのにも、
清水の舞台を飛び降りる以上の切羽詰まった感じがなければ。
地道な道を選んで、大胆な加速度を上げる選択はしないはず。


地道なネットでの広報活動とか。^-^;


それではすでに多くの施術院のホームページがあって埋もれ、
存在感がかすんでます。
それにネットで伝えきれない、
施術を受けた体験から感じ取れる部分が大事。
例えば体験説明会のようなものを開催して、
そこまでお客様を連れてこれるかどうです。


実際は私は多くの施術コマ数をこなす仕事はできませんから、
「このようなものがあるんだ!」と、認識していただくまで。
そこで当面の接するところの仕事は終えられて、
ネットでその後の知識等の提供になるのですが。


ネットではネットのよさがありますが、
ネットで語れる知識は体験に劣ります。


いずれ施術説明会での体験会を定期的に開くこと。


単純に言えば、そのようなことも含みますが、
そんなところにも、いろいろ今後のことを考えて、
自分がイメージすることを大事にしながら進めたい。


ただやっぱり、発想が地道すぎやしないかなぁ・・・。


そんな思いが、頭をもたげてくるのですね。


どうにかして加速していかなければわからない。
頭で思いついたことの数十分の一ほどしかせず、
微々たる成果しか挙げられずにときを終える。


そのような可能性が大きいように感じられて、
ひとりきりで、禅をくみつつの自問自答する。



仕事でやっていることは、
本当に地道な自己研鑚でしかありませんが、
志だけは高いところに据え置きたいと思う。
そのような夢見るタイプでもありますから。



龍のごとく加速せねば、という思いがでて、
いつも感じたことがない焦りがでてしまう。


年齢が進むだけで、
修行がたりません。。。



ただ私への影響力が強い「鈴木さんは本当に地道ですよね」といった方以外ならば、
焦りを感じることもなく、笑顔でスルーしています。
他の方がどのようなことをされていても、正直、気にならないので。 ^-^;


それだけ私にはその方を、一目も二目も置いているということです。


だから私には神がその人の口を通して指導したとしか思えないので。


そう思えるほど、その御仁からは、
同じフレーズを、繰り返し聞いた。


そこで考えこみました。。。 ^-^


自分のスタイルの変更を考えるべき点があり、
私の幅を広げなければいけないのでしょう。
変わらなければならないところがある。
そんなメッセージのような気がします。



誰にも何もいわないままで、
通常の業務を大事にすれば、
恥をかくこともありません。


でも
今が絶妙なタイミングだと、
示唆してくれたのでしょう。


私の殻をめくり脱皮するか、どうか。




そのようなおり、
昨日は渋谷の書店に立ち寄る前に、
祐天寺というお寺へお参りにいきました。
いつものように祐天上人のお墓にお茶を。 ^-^


そこで、墓の紋を観た。
次のようなマークです。


祐天寺家紋.png


『  』という文字。


そこに「一から積み上げなさい、それでいい
といわれたかのように思えました。


そこで受け入れたのは、
今までの地道な私の考えばかりでいいというわけでもなく、
龍のごとき人のような加速していく方法も、
「一から積み上げなさい、それでいい」
というメッセージに含まれているのだ。


そう思えたのです。


その瞬間、不思議と気の焦りが消えました。
自分の考えに塊続けるのも、
いかがなものだろうかという意思を感じて。


一気に自分を変えようとすると、
自分を完全に自己否定へと落としこみます。
それは得策ではないと感じます。

現在している施術に悪影響が及びますから。
それに自分を守ろうとしていたのでしょう。


ただそれは誤った思い込みだったのですね。


どんなことでも一から積み上げなさい、それでいいのです


まさに「ベイビーステップで変えればいい」
それならば、
試してみたいアイデアはいくつもあります。


来年には今の自分の施術のスタイルを変えて、
トライ・アンド・エラーをするようにしたい。
結果は頭で図るものではなく行動からになる。
そのようなテスト期間を持ちたいと思います。


それができれば、命が永らえそうです。 ^-^


「それでいいんじゃないか?」と、
そういう声が祐天上人と右隣の墓前から聞けたように感じ胸に沁みて
ほっと一息つくような思いがしました。



人はいつまでも自分を成長させる道を求めるものですよね。


ただ、多少なりとも人を巻き込むようなことがあれば、
ビジネス上での黒字を出さなければならなくなります。


継続的に発展して持続可能なものとならなければ。
巻き込まれた方が、
意義ある仕事と思えても経済的にも肉体的にも疲弊していくようではなりません。


私一人が、裕福から足を遠のくのはいいのですが、
ひとを巻き添えにするというのは、以前離婚した奥さんに迷惑をかけたことから、
絶対にしてはいけないことだと肝に銘じているところです。


こういうのはすっ飛ばしてきて、
経済活動から身を引いた仕事を心がけてきたので、
人に頭を下げて知恵を教えていただくなり、
自分で考えぬくようにしていこうかと思います。



そして『海外の人たちとの健康格差』を、リセットしたいです。



成長しているうちは、
人生は楽しめるものですよね。
そう実感する、このごろです。 ^-^