私の夏季休業中の失敗談から、台方麻賀多神社参拝へ

私個人のことですいません。


内容がそれほどありませんので、
素通りしていただければ幸いです。 ^-^;



先週の夏季休業中に計画倒れをしたことがありました。


七面山奥之院( http://www.7okunoin.net/index.html )にお参りにいく予定でした。


直感ですが、こちらの本道横に位置する「一の池」に詣でることで、
私が次に進むべき妙案を確定的に見定めることができると思います。
そんな気がするのです。
ふつふつと。


たいてい、そのようなときは、
何かが起こり控えているので。


先日の香取神宮の参拝と含め、
夏休みの大きなイベントのひとつでした。


だからこそ、
七面山というお山に登山しなければならず、
そこをヘタレっぷりがたたって断念になる。


結構、私としては目が点になる経験でした。


七面山は、法華経を守る七面大明神の住まう霊山です。
ですから遊び半分でお参りするべき地ではありません。


気持ちは気合を入れて登ろうと考えていました。
ただお参りの数日前に、
あまり七面山の登山情報を調べていなくて。
高尾山ほどの高さなのかなと勘違いをしていた。


その事に気づきました。 ^-^;


高尾山なら、1時間ほど登ればいいんですよね。
http://www.takaotozan.co.jp/cource/index.htm#h3_01


でも、七面山は昇り降りで10時間ほど。
そのことに一週間前ほどに気づいてみて、
宿坊をと考えたらすでにもう夏休み期間。
いきなりは予約が取れそうもない状況で。


それでは一日で10時間歩き続ければいいではないか。


ただ現状、
施術のしかたを最近また工夫を加えてそこかしこの筋肉痛。
それにより体には不測な歪が・・・^-^;


体とは磨きをかけて繊細化すればするほど、
小さなずれや内包する問題に気づきを得る。


するとミリ単位の無茶もできなくなります。


無理なことを押し通すということですと
大小の小に関わることを雑事と無視して
粗雑な寄せ集めを造るに等しいことに。


小さなことに一心に大切と感じ取り、
まい進する気持ちが積み重ねられる。
それが集まり大きくなったものどは、
質が違ってきます。


体が生きだすときにはこの大事さが身を持って伝え聞ける状態です。


小さなことを無視して大きなことをしようとするなら、
その代償を筋肉等の苦痛に反映して、
即効で教えてくれるようになる。


苦痛は小事の芽生えを息吹かせて、
大事へと変化させる指示をだしているということです。
そのような大切な羅針盤を持っているということです。


それを一般的に外見ではヘタレに見えて嘲笑している。
一見すると他人の目ではそう見える。
でも、表面上はそう映っていて、その下の事が見えず。
それだけのことです。
するとそれを笑うものを笑う。。。という、
妙な取っ組み合いが始まるのです。 ^-^



自分の内側を小さく別けはじめ大きくする。
それが出来る体質になったということです。


一般では、頑張り過ぎるほどやればいいと。


それは私には、大事な機能を無視するもの。
かえって後々にそれはダメージに転化する。
それが見えて、考慮に入れた上で体づくり。
それができると大きく広がるものですから、
そう小さな機微のうちに操作をできるよう、
精密機器化された人体を味わう。


多少でも力みが入った筋感覚が無視される。


そこからは、
元通りに体の内側にある液状化した体液の流れを阻害するようになり、
体の皮膚の内側にある流体としての人体を失うこととなっていくのだ。



人の体は、
固体化して固着化するという執着から終焉を迎える。


そのときは脊椎の動きがぎこちなくなっていくから、
そこをちょっとだけ触らせてもらえればわかります。


それは私が自分の脊椎を触ることで、
「・・・やばいな」とか「いいね!」とわかります。
それで無理しすぎて取り返しの付かないリミッターは超えないように気をつけられます。


その背中が少しずつ動きがでてきて、
脊椎がヘビの胴のようにひとつずつの椎骨が動きが分化していくようであれば、
人生上の吉相です。


体液の流れは促進される。
自律神経の動きが良化する。


だから生命力がヘビのようにしぶといし強い。



自分の体の内側に備わるこれ以上動くなというリミッター機能が曖昧になるのは、
自律神経系の反応がすでに鈍い状態ですから、危険な状態を上乗せする歯止めが。
歯止めが効いてくれない悲しい状態だといえるでしょう。



だから自分の身の状況を受け入れずに頑張ることは、褒められたことじゃない。


ちなみに
脊椎がヘビのように動かせる状態から次のステップでは、
たとえば気功での小周天のような気の流れを強めるよう
しっかりエクササイズを加えて気流をそこに増すことで。


ヘビの蛇腹のようなキャタピラ的な動きを超えるときがきて、
流水のような動きをともなったことで形作る液状と化します。
実際に練習を積み重ねると、そんな感触を体感で得られます。
それはあたかも龍のような勢力を持つ感覚といえばいいのか。


固着、執着した原子が運動エネルギー量が小さな個体から、
その個体が、分節されたヘビのようなパテーションを得て、
つぎにその分節さえも乗り越えるような体液の流れの意識。


めったにお目にかかることはありませんが、
龍の背中を持つ人のパワーは半端ではない。
不老長寿といえる人の殆どがそうでしょう。
私が触らせていただいた人にはそうでした。
まさに龍の背を頂いた人は、自由自在人。





個体から液体、液体から気体。
物質の三体は、そのように転じて、
徐々に内包するエネルギー量が増していきます。


それと同様な事が人体内部でも発祥することにより、
さらに自分の体と仲良くなるもののように感じています。



そんな印象を持っています。




流暢な体から、開放感や歓びを感じること。
それが最良の生まれてきたプレゼントです。
私には、そう思えます。



私も少しでもそれを求めようと試みて、
それが施術業の修行に転化しています。


施術業は、想像以上に人の体をくまなくみるトレーニングになりますし、
それは自分の身を反省する機会につながるのですから、
課題を日々いただいているようなことでもあるのです。
決して簡単に解ける課題ばかりではなく、
常に身を、心を、考えを変えることを迫られるのです。
自分の内側だけをみていけばいい修行とは違う点です。
施術は、自分の殻を捨てて物が見られないと苦しむし。
ほんとうにそこがハードなんですよね。


いつも施術を考えるときには「これでもわからぬか!」と叱られているようです。
今の固着した考え方を拭えなければ、見えるものも見えず、聞けるものも聞かず。
それでは勝負にならないんだと、口を酸っぱくしていわれているようなものです。
施術中は、自分との自問自答の垣根を否が応でも越えさせられる。
そういう修行なんでしょうね。


固着した考えが身を潜めているうちは、
せせこましい自身の我欲がおさまらず。
うまく節をつけて分化して考えていき、
次には流水の如き自然の浄化を受ける。


そのところまでは、進みたいですよね。




話が、それました。 ^-^;



早い話、2000メータをちょっと下回る七面山奥之院参りは、
遭難の恐れを感じました。
身延山久遠寺に立ち寄って、
それからの登山となるので。
昇り降り10時間どころか、
12時間には最低なります。


街中散歩が主だった私の趣味で、
登山経験がほとんどありません。
だからちょっと過剰に不安です。
雨だって、風だって、日照りだって、日没後の暗闇。


12時間ずっと歩くと60キロ弱の位だそうですね。


そんなにはいきなり歩くことはできません。


でも、
もしも余裕で七面山奥之院参りをするには、
心身ともに鍛えあげなければならないです。




そこで、ここ最近。




歩きましょう、歩きましょうと、遠距離散歩を再開しました。
施術の学習は、申し訳ないですが、少しの間だけ休業します。
遠距離散歩をしたら、クタクタで、眠くて本など見ても。。。
頭に残らないんですよね。


体力を増強するべきというのも、
それは施術に係ることですから。
別段、間違った選択をしているわけではない。




昨日は、千葉県成田市台方1の麻賀多神社( http://www.makata-jinja.com/ )へ。
【 宗吾参道駅 】という駅を降り、
そこからの30分程度の徒歩。


歩いていると歩道がなくて、
すぐ脇をでかいトラックが。
と言う危険なところはある。


ですが、さほど問題なく、
佐倉惣五郎というお人が祀られている仏閣をお参りしつつ、麻賀多神社へ到着。


そちらには関東一と言われる大杉があります。


こちらが見たかった。^-^


いわれでは、日本武尊命が鏡をかけたことがあるとか、大杉前に掲示してあった。
公式サイトでは大杉の紹介として、
「境内左奥にある、東日本一の大杉(御神木)は、
樹齢千三百有余年、昭和十年、千葉県の指定記念樹第一号に指定されました。
古来より御神木には心霊が宿っていると言い伝えられ、
延命長寿のご利益を授かることでも有名です。
現在はパワースポットとしても人気の場所となっております。」


とのこと。


麻賀多神社前で参拝をさせていただいたとき。
佐倉の麻賀多神社で感じた感激は、
一切、微塵も起こりませんでした。
「???」それが、かえって妙な。


ちょっとだけ天日津久神社では、
これはと感じたがちょっとだけ。


私の感性が鈍っているのだろう?




それでもせっかく遠路はるばるお参りさせていただいたので、
2時間ほど、この神社の森を含めくるくるとつぶさに探索を。


スピリチュアル関係では有名な神社ですから、
ひっきりなしにご参拝の方々がまいられます。


団体様が来ると、近くにあるベンチで休憩し、
誰もいなくなると細かなところまで観察に歩く。


長い時間、この大杉の周りもくるくると回って観ていました。


大杉なのは確かですが、不思議なほど親しみやすさというか、
ユーモラスな雰囲気を、私は感じ取りました。
威厳のある大杉ですが、昔懐かしい感じです。
夢の中で見覚えがある。
そんな不思議を感じた。



さすがにこれだけ長居をさせていただきますと、
拝殿で何も感じられないという不思議があれど、
居心地がいい自分の庭のような気がしてきます。 ^-^



ただ、ひとつだけ注意があります。
こちらの神社は少し高台で風を受けやすい地に建つため、
晴れた日ですがけっこう吹きつける風で体温を奪われます。
夏でも薄い長袖のシャツで来たほうがいいかもしれません。
そのほうが、思った通りに長居できるでしょう。



昨日は帰ってきて、
それほど歩いていないにもかかわらず、
気を失うように部屋でぐったりと寝てしまいました。


先日、お客様に、麻賀多神社の大杉を見て眠くなったという友人がいると聞きました。
神様が大杉の周りを踊っているから、
その躍動感が参拝者に伝わっていく。
それで眠くなるのだろうと
言っていたような言わなかったような。


そのようなミラクルなことを期待せずとも、
圧倒的に感動できる大杉参拝になるでしょう。
だって、大きいんですから。 ^-^
興味がある方は、ご参拝を!