「お客様目線」と「目の前の人の内側に偉大さを感じる」視線を感じる

私ごとですいません。


いま、コーチングスクールに、通っています。
一昨年前より、YouTubeの映像を熱心に拝見させていただきました学校です。



ただ施術を休んでいると。
そこに罪悪感を感じている。
その気持ちで持っていかれていて、通いつつも情緒不安定がつづく。


予約順番待ちの受付再開を希望する方々の連絡メール。
相当にお体がきつい状況のお客様からの連絡も見て取ることができ、
私のところへメールをいただけるお客様は、
「ボディワイズって、本当に施術を提供する気があるの?」と
新規に施術を受けたいというお客様方には思える状況を押して、
問い合わせをいただいているとき。
すでに数年以上も他院を巡られて、
打つ手がない人が過半数ですから。


経済的にもつらくなるし、
症状悪化が止まらなくてつらくなるし、
精神的にもきつい状況を味わっている。


いただいたメールを思い出すと、
頭のなかが割れていくのですね。


授業中も頭によぎります。
かなり往生際が悪いです、私は。


私のような地味で丁寧な施術スタイルは、
多くのお客様を受け付けられませんから。
どこかで割り切れなければ、なりません。。。


直前の目の前のことを見ているとすれば、
今の私のやり方は愚行のように思えます。


ただ学び取らなければならない点が2つ。


「施術をする技術者」という視点から目を離すこと。
それはお客様目線になって、施術を提供するという見方を学ぶ機会。


施術者が自分の技術に自信があるからというところだけでなく、
施術者とお客様では、
お客様に「先生」と呼ばれることも手伝って、
自らを誇示しようとする習性を持つ人もいる。


お客様に対して立派な施術をするという信頼感は大切ですが、
ともすると高圧的態度をお客様に対して示すときもあります。
そうしているつもりがなくとも、
つい、つい、
お客様が先生を見ているときの目線から見れなくなったとき。
そのような態度になっているときがあるのです。


悪気があるわけではないが、
自分勝手な「いい気になっている」のです。
それで語った何気ない一言は、人を傷つけてしまう。


かなりひどい物言いをしている方々がいるという話。
意外なほど私の耳にお客様経由で入ってきています。
聞くに堪えないものも、正直、多く入ってきている。


施術力がある。
だが、、、
人間性がない。


言うなれば、もったいなくもあり質の悪いタイプですね。
それでは施術をするものとしての存在価値は薄まります。
そこが学びたかった大きな点です。
人(自分)を育てるというのは、こういうことでしょう。





あと、もうひとつ、肌で感じたいと思ったこと。


それは誰もが自分の人生を生きるなかで
代替しようのない主人公だと思う信念を。


そこを自分自身のハートに刻むことです。


そこを強調しているスクールです。
だから真っ先に通うべきと考えた。


どういうことかというと、
あまり具体的に申し上げるのは差し控えたいと思いますが、
過去に自責の念で、気が狂いそうになったことがあります。


私が施術をまださせていただいていないお客様でした。
メールで、もう40通はやり取りしていたと思います。
お客様から、、、
質疑応答。
近況報告。
過去からの施術院遍歴や負傷したできごと。。。
すでに多くのパーソナル情報を教えて頂いてました。
私が施術を休業中。
気になっている方でしたから、
私の方へ一度、足を運んでいただければ、
ボディチェックをさせていただいて具体的な状況を伝えさせていただきますと申し出ました。
ですが、すでに彼は自宅の布団から出ることができない。
そこまで体調悪化が進行していたとわかり、私が出向きました。
実は私の家には施術道具があるから、そちらがないと本当にボディチェックと手を使う手技。
そこに留まるのです。
しかたがなくアクティベーターは持って行きましたが。。。


そして実際に彼が施術を受けていただける直前になり、
彼から今まで通われた施術院の不届きな点を書かれた
長編小説ほどの100ページほどの文字数があるメールが送られてきました。
すでに体が、一定状態に固定できない状態で書いたものです。
つらかったでしょう。
でも、そのことを私に伝えたかったのでしょう。


それは、私にも十分に気持ちはわかっています。


すでに私に対応できる自信がないところまできているのは明らかだったのです。
そのことはご自宅へ伺わせていただきました時、
確認させていただきました。
施術を受付させていただいたら、
逐一、問題が発生したら対処して、
前方へと少しでも進めるようにじり寄る。
自分の能力が現状維持では対応できない。
そこは明らかですから、徹夜も続くはず。


すでにここまでの身体的ダメージが蓄積している場合、
砂上の楼閣ほどの壊れやすさだということを知っていますから。
私が施術の手をだすことが、かえって迷惑をかけることもある。
そのときは、もう、潔く土下座でも賠償でもなんでもする覚悟。
そこまで感じ入ったものでなければ、お付き合いはできません。



私、最悪の結果を先に想像して夢に繰り返し出てきた。
フラッシュバックのように、
その夢のワンシーンが蘇る。
基本的に、慎重派ですから。
自力の施術能力の安全圏から想定から逸脱しすぎては、
尋常じゃない状態で、仕事を続けるのはありえません。


メールでのやりとり。
人間的な関係ができ、
そうするしかないと。
私はそう考えました。


彼とのメールでのやり取りがなければ、
正直に言いますと、この思い切りはできなかったでしょう。


ただ、結果的に、彼が長文のメールを頂く前にも、
以前にかかった施術者の効果の低さや言葉遣いや対応の悪さを記録した文章を私に送られてきました。
私が「施術者を多く施術で治している私は、施術者自身の労も計り知れないほどのものがあります。
どうか私にそこを訴えられては、施術に集中することができなくなります。
今後はそのような点についてメールで言及されないようお願いします」
とお願いしました。
それは、今となれば本当に私が弱かったというところで、自責の念が尽きない。


すでに、彼の施術への恐怖心から、
彼が訴える線維筋痛症という症状をひたすらに情報をかき集め続けていた。
ただし線維筋痛症では収まらない状態であることは私のような素人でもわかる。
さらにつらい状態で、彼は思い悩んでいた。
それも知っていたし、その上で、「私を信じてますから」と頼りにしているといっていただける。。。


私にはあまりにも高い深刻な壁のようなものに飛びついては跳ね返されて、
泥だらけになっていく自分が想像されてしまう。
そのような状況だからということを伝えていた。
だが彼は「鈴木さんを信じていますから」と。。。


それですでに2週間ほども、思い悩み、数時間すると飛び起きるという寝れない状態で痩せこけてきた。


そのときに、また、こんどは長編小説ほどの施術者がどれほど愚かだったかという、
彼の眼差しが幾人もの施術者に向いている。
尋常な気持ちではないのは明らかです。


その長いメールをいただいたとき。
こんどは、一睡もできなくなった。
そしてこれでは他のお客様の施術をさせていただくに際して、
施術中に気を失いそうになっている自分に気づき始めた。。。
実際は、施術をしていくにしたがい、
私の施術力の化けの皮が禿げていき、
「鈴木も、奴らと大差ないひどいものだ」といわれるのでは。
自分の手にあまる状態ですと、すでに伝えているのですから。
そこまでは言われないかもしれませんが、
彼の無念の念が私の胸に鋭く奥に刺さりました。
そこまでのプレッシャーを施術で感じたことはありませんでした。


そうしているときにも、
他の遠方から来てくれるお客様もいました。
彼同様に、重篤なご高齢のご婦人もおられた時期でした。


そちらへも意識力を向けなければ、共倒れになるだろう。


・・・そして、「ごめんなさい。私には、あなたの施術をすることができません」とメールで伝えました。


本当の気持ちは、
実際に会って彼と話をしたかったのです。
ですが私自身の口から、自分勝手な施術ができない言い訳をする。
コミュニケーション力が存分に発揮できる自信がない私ですから、
そうなれば自分の保身を図ろうとするだろうと思います。


私の今までの視点では、
正直に申し上げますと、
これ以上のことは考えがつかなかった。


これが私が施術を真剣に辞めたいと思った、6度目です。


ただ、、、それは、私の施術者側の、一方的な見方です。


お客様の視線から何を見ているのか、
お客様の隣に座りお客様が見ている同じものを見てみる。
そうすることが寄り添うことだとコーチングスクールに通い学び、見えてきたところです。


私が彼と知り合ったとき。
私がこれから登る施術の山の高さに怯える前に、
今通っているコーチングスクールの先生のYouTube映像を見て、
「すべての人の内側に偉大さをみる」等の言葉に何かを感じていたなら。


私が彼とお会いしたときの初見で、
一瞬、私が彼を見ただけでも、
職業柄、数十の体の問題点を観察して読み取っている。
頭が、今まで施術をさせていただいた方々の類似例を思い起こし、
今後の施術でどれだけのお通いいただくことや一筋縄ではいかないとき等の負担量を推測してしまう。
それで「これは、、、大変なことになった」と判断していると、顔色に出てしまう。。。


機械の修理工だったら、これでもいい。


だが人の施術をさせていただくものは、

これではいけないのです。


そのぐらいのことはわかっていますが、
本を読んでも、コーチングのYouTubeの映像を見ても、
わかったようなわからないような。。。
文章を記憶する程度の理解はしています。
ですが、それでは使い物になりません。


私のなかからお客様が重い症状を持っていたとしても、
崇高な信仰心にも近い、
「目の前の人の内側に偉大さを感じる」視線を通して、
世界遺産にも匹敵するほどの存在感だという見方が反射的に起こるようになること。


私の部屋に掲げる福沢諭吉の心訓に、
「世の中で一番美しいことは、すべての物に愛情を持つことです。」
とあります。
いわんや、物以上に、人に愛情を持つこと、です。


もし私が彼と初めてお会いしたとき。
施術の専門家という立場を黙らせて、
人を観る視線を身についていたなら。


そうであれば、
施術家として認められたいという気持ちではなく、
人として付き合いたいという気持ちを尊ぶことへ。


そうであれば、
「施術」を私の意識から捨て、
自分の思想を磨くことが生業と尊ぶ。




そうであったほうが、
私の人生の夢に合う。


そうであったほうが、
たのしいししあわせ。


自閉的な職人気質。
私は行き過ぎです。
今までの私は、本当に、そうですね。


そこから抜けだすつもりでいます。



コーチングスクール通いから、
何か自分自身を楽にしてくれる生き方を学び取れればと願っています。



そんなこともありますから。
コーチングスクール通いを、大事にしていきたいと思います。


コーチングスクールを卒業するためには、
実習で30人にコーチングをしないといけないというノルマがあるそうです。
そして70名にコーチングをすることで、なんらかの特典があるそうです。
コーチングスクールでは「100人コーチング」と銘打っておられるので、
おそらく100人にコーチングができれば一番すっきりすることでしょう。


私は施術の仕事もあるため30名のコーチングができるかどうか。
ギリギリでしょう。



ぜひ、任意ですが、やさしいお心の広いお客様へ。
私のコーチングを受けていただくご希望をいただけましたら幸いです。


後日、私のコーチングのやり方のイメージが整いましたら、
施術の部屋にチラシを刷って置いておきます。m__m


施術終わりに、もし、お客様のお時間が60分ほどございまして、
私の方も都合がつく運びであれば、ぜひ。
お願い致します。




後日、
ボディワイズの施術に関心のあるご新規の方へ。
私のコーチングスクール通いの記念とさせていただきまして、


抽選で 3名様


コーチング(90分)と
施術の単発セッション(2時間)をセットでプレゼント! ^-^



という特別企画を打ち出させていただければと考えてます。
コーチングはいらないといわれそうですが、
そこは状況を察していただき、
私のスクールの卒業に貢献していただけましたら幸いです。 m__m



私にはアンソニー・ロビンズのような大胆なオーバーアクションをともなう情熱のコーチングは、
向いてないような気がします。
向いてなくても練習をします。
今のところコーチングの型が、
さっぱり身についていないし。


ですが30名もコーチングをすれば、
自分なりに、今までの私のキャラが生きる形へとアレンジされるのでしょう。



今、自分なりのコーチングというものを勝手に模索しているのは


「がんばらない」夢の手繰り寄せという信念のお話を話しの枕にして、
スクールで習った現在・過去・未来のタイムラインを使ったものを利用するものです。


「がんばれば、しあわせが逃げる」というメッセージを、
私の友達が語ってくれました。


頑張れといったことを推奨するコーチングと、
がんばれば恩寵を受け取れないという事実。


それらが水と油のように感じていた時もありました。


相互に相乗りできそうもない印象をうけますが、
瞑想をしつつ内観を進めるにつれ違っていた。


コーチングに命や力を持ち始めるには両者が掛け合わされることが大切なんだと信じようと考えています。



がんばるということを崇拝しすぎれば、
下手な自己流のダンスを繰り返し動き方の轍をこさえて抜け出せなくなる元凶のようだと気づきました。
自分ではがんばっているつもりでも、原理原則を知らないで繰り返せば体の負担部分にダメージが蓄積し、
深くぬかるんだ泥沼の底へと滑り落ちていくものです。
自らが掘ったわだちが深まればぬけ出すのは容易ではない。
がんばれば、がんばるほどに、理想とはかけ離れることも。
そのがんばろうとする気持ちは尊いものですが
そのような無明のままに我が入ったまま進めば、
水が高いところから下へと流れる道理を逆に流れろと言わんばかりとなる。
理想と現実がかけ離れたと感じれば、迷宮に入ることになります。



生まれ変わるには水は高所から低所へ流れるという原理の如く、
相通じるものを自らの内側に観て真眼を携えて楽に成功しよう。


華僑の本に、
日本では一般的に「言うは易し、されど行うは難し」といいますが、
華僑のあるものがいうには「知ることが難しく、行うことは簡単【 知難行易 】」といいます。
正しい知識があれば行動しないことはありえない。
つまりこうすれば成功するとわかっていれば、誰でも行動するはず。
むろん、知っただけではダメですから、
行動をともなって本当の知にするのです。



正しい知識はを得ようとして、がんばればがんばるほど視野が狭まり見えづらくなるものです。
ならば天上界から自分というキャラの人間を覗き、視線を送る。
温かい愛情を持って力強く応援する。
天地の間ある原理原則の流れを感じ、
それに沿った生き方を受け入れます。
それがしなやかさ、したたかさ、それを支える柔軟性を生み出すのでしょう。


窮屈な自我をそぎ落として、真我を得る。
虚飾ない内なる偉大な自分の存在の厚みやエナジーを、
目に焼きつけ皮膚で感じ取ってからはじめましょう。
それが「知ることが難しく、行うことは簡単【 知難行易 】」の知に匹敵する場合があると直感します。


そうすればがんばらなくても、楽に行動できてものごとはかなうものなのです。





タイムラインをあるくコーチングとは、ざっくり言えば、
過去の自分を客観視してどんなキャラクターかをつかんで、
何をしたら気分がいいかなど、過去の体験から読み解きます。
それから未来の自分がどうなっていたいかをイメージしてから、
現在の自分へ未来の自分からメッセージを送るという内容です。


自分の可能性を活かす選択枝が多様に広がることを感じられれば、
それで一様の成功だと思います。


これからも、咀嚼してふたつの性質を見ていきたいと思う。
それを私のコーチングに関するライフワークにしたいです。
器用にさまざまなツールが使えるコーチになるよりも、
バカの一つ覚えのようにひとつの技を磨き切りたいですね。 ^-^



コーチングという、他の人への今までの人生とこれから起こすヒーローインタビューを繰り返す度に。
「目の前の人の内側に偉大さを感じる」視線を育てるきっかけとなるのかもしれません。


そんな機会にコーチングスクール通いが、
いいきっかけとなればと願っています。