人も家も、予兆をくみとって、慎重な判断と行動を

見えないところで起きてしまっているリスクって。


あるんですね〜。。。


以前から一階のトイレ周辺に地盤の沈み込みを感じられる。
それは和式トイレから洋式トイレに変更したときから始まりました。
「おかしい」という『予兆』が感じられていました。


床下で起きる状況を察知するも、
私はてっきり基礎となる柱やブロックを壊されて抜かれたのではと想像していました。


幾度か母に、
トイレのリフォームを頼んだ工務店に連絡をしようといいますが。
実は私の父が生前にお世話になっていた方だった手前、
苦情を言うのはしのびないといわれまして。


今考えると、別のリフォーム業者に頼めば、
なんということもない問題ですが、
リフォーム業者は父の友人のそちらだけだ、
ということを母は義理堅く考えておられた。


母の気持ちもわかります。


そうなると、もう、打つ手がなくて困っていました。。。


実は、
この度の水漏れで上水道部分の配管接合の手抜かりで、
水が少しずつ漏る状態が続いていたからということが、
トイレの床越しにあからさまに水漏れの水流音でわかったため
トイレ近くの基礎の柱を削り取られたり
重量ブロックを抜かれたのではないことがわかりました。。。


確かに、今になって考えて見れば、
トイレのリフォーム業者がそんなにも強固な部分をわざわざ削りとってみても、なんぼの理があるのか!?
そんな無駄なことをしたら、苦労しそうだし疲れちゃいますよね。


単純なことですが、2本の水道管を配管する際に接着剤で接着するのですが、
その接着があまくて抜けやすくなっていたような水道屋さんの手抜かりだったんですね。。。


これで水漏れが家の基礎部分にまで影響をおよぼしていたと原因がわかりました。
「さぁ、、、これからが大変だぞ・・・」と思いつつも、
欠陥部の原因が実のところ推理推論の域を出なくて不安定だったころからすると、
かなりホッとしました。 ^-^;
問題は解消したわけではありませんでしたが、
原因が明瞭化したため対処可能な問題に変化。



そんなこんなで。
自宅の異変がおきて予兆に気づきつつも、
それを無視して2年ほど経ちまして。。。


ひどいことをしてきたと反省しきりですね。
もっと慎重かつ大胆な決断をすべきでした。。。


そんな悪い例を挙げさせていただきました。





そして人体も、やはり予兆を感じたときの対応が大事ですよね。


私の年齢50代にもなると、
この間まで元気そうにしていた知人が、
いきなり大病を患って入院なさることが多くなってきております。


病気の症状が発症する前後のことを聞くと、
一切の予兆はなかったという人は少ないのです。


ほとんどいなかったといってよいようなことで、
たとえば、ある人は、


「実はそれがおきる半年前から、
めまいとか、軽く一瞬だけ気を失ったりしたり。
大ごとって言うわけじゃなくて、
ごくごく小さな異変程度のこと。


だから、思い起こせば、
おかしいなと思うことが度重なっていたし。
症状が出た今回の直前は、そういうのが頻発していて怖かったんだ。


でも健康診断では問題がないといわれているし、
日頃の仕事が忙しいし、重い病気になるなんて想像したくもなかったんで、、、。
つい、ほっておいたんだ」


後悔の念を込めつつ、そのように語ってくれました。。。
症状が出る前に気づいていればと思う。
そう考えて唇を噛みしめているのです。


仕事疲れが溜まってしまっているとき。
それは肉体的な疲労もそうでしょうし、
精神的な苦痛も関係してくるでしょう。



小さな予兆と言えそうなことが、
起きていることはほとんどです。


そこを見逃さないで突き止めてほしい。
そんなことを、
身近な方の発病から痛感しています。


少しだけ予兆らしいものが出たとき、
慎重にそこから行く先の軌道を変え、
修正を早めにするときがきたと言えるのでしょう。


予兆も先々、進んでしまうとよくないことになりそうだなと思うと、
心配症な人は、本能的に何か回避できるいい手はないかと探しだす。


それが、本当にちょうどなのかもしれないと思います。


後で気づけば、
小さな予兆で回避できれば、
そのときに一番効いてくれる手を打てれば、
小さな火種は燃え上がらずに対処できて事なきを得ます。


きっと私どもの同輩といえる以上の年齢となりましたら、
慎重に考えなければならないことが出てきてしまいます。
もちろん、私を含めての自戒でもあります。






また、予兆を大事にしましょうという内容とはそれてしまいます。
、、、ごめんなさい。 



私は、一昨日前の自分のブログ
2016年12月02日
「施術をするものにとってお客様に送れる生活の最低限とは、何かを提供していきたい」
http://bodywise-note.seesaa.net/article/444539383.html
にて、


〈生活ができる最低限の環境のひとつとして、人はどのような状態であればいいのか?〉と書かせていただきました。


そのブログに対しての回答になる内容のメールを、
私がT先生と呼ばせていただいている御仁からお送りいただけました。 ありがたいです。m__m


一部、転載させていただきます。。。


>  〈生活ができる最低限の環境のひとつとして、人はどのような状態であればいいのか?〉との解答は
> 「施術で臨機応変に対応し、お客様の生活の最低限の環境として、
> 痛みが軽減して楽しく暮らせるようになっていただきたい」ということが正解です。
> 何よりも痛み(中略)が軽減することほど、嬉しいことはありません。



つらい痛みが続く日常生活。


それがいつ終わるともわからないときほど、
「これさえなくなれば幸せになれるのだが」と感じられることもないでしょう。


終わりのないと感じられるような痛みは、

心身ともに痛すぎてつらくって。
心もなえるときってあります。


私ごとですが、、、
私も、施術中に足の指の爪が剥がれ落ちて激痛になったようなときは、
一日が10年にも感じられましたし、次の日が来たって治らないよな、
と出血した包帯を取り替えてキネシオテープでぐるぐる巻きにしながら考えているとき。


そんななか「かかと重心」の練習をする機会がきたのだと、
このチャンスを活かそう!と思い浮かべかかと重心の研究。
そうすることしかできなくなっている状態だから、
学ぶのも早い早い。^-^;


アキレス腱が固くなると、その時点ですべてダメ。
グラウンディングなどできるもんじゃないのです。
それも、そのときに気づきました。


アキレス腱をゆるめ伸ばすところから、
姿勢の落ち着きや勢いが生まれるので、
このようにならなければ伸筋モードでキープなど、
できたもんじゃなかったなんて、、、。


どこにも本には書いてなかったじゃないの。。。^-^;
まぁ、そういったもんでしょうね〜。


でも、バレエ・ダンサーのよく動ける人を見ていたら、
普通にそのような使い方をしていたことが観察できて、
目が曇って見て取れなかった状態を知ることになった。


そうやって、
認識力をあげて目の曇りを拭うのが成長なんでしょう。



心身ともにつらい状況でも、
神様は乗り越えられないほどの試練は与えてはこない。


人生は試練を乗り越えて成長して学習をするもの。
順風満帆な人生を徹頭徹尾に送り続けられた人も、
めったにおられないと思います。


乗り越えて、
問題問題じゃないものに思えて、
神から授けられた課題だと思って知力・体力・時の運を使い、課題を解くのに専念。


多くの場合、
課題を回答できるヒントが提示されるような、
丁寧な設問の仕方をしてくれているようです。


そういったものが人生だと胸に刻み込めれば、
八方ふさがりの気持ちから脱出しやすいですね。 ^-^


そのような状態になったからこそ、
学べることがある。


生きるって、そういうことの連続です。。。


私の、一個人の考え方ですが、


つらいこともたのしいことも、
経験したことすべてに対して
経験してみてどう感じたか。
やってみてどうかんじたか?
またはさらにいいやり方は?


そんなことを事件に直面して
経験を通して学び続けるもの。



ハードな苦痛が押し寄せるときも、
変革の波は押し寄せてきています。


「痛み」の感覚は、
ある程度のところまでは
更に楽で合理的な動きを知らせるための神が与えた教えのようなもの。
痛覚神経という神経を通して感じさせられるのも
神経を『神』と『経』に分けて勝手な解釈をすれば
神仏が教えるお経とかで代表される経典のようなものを神経で教え伝えているのだと思います。


大きな症状が生み出される仮定で感じた予兆も、
それは神経という神の経が大事なメッセージを
きっちり伝えてくれている異変の伝令でしょう。


粗忽な感じにうっちゃってしまわないようにと、
注意深く行きたいものですよね。
もちろん、状態が自分で判断できなければ、
医療機関等の力を借りるべきでしょう。




そして最後に。


私のT先生は、つぎのようにも申しておられました。


> 追加すれば、
> 「昨日まで普通に出来たことが、不可能になった状態を少しでも改善すること」
> ではないでしょうか?


人は、生きている以上、
年齢が増して老化していくものです。
そうなった後でも肉体を支え続けなければなりません。
それは重荷になって感じられるようなことも出てくる。


それでも、改善点を見つけていくことに着眼しなさい。


そこへと価値観を据えて向上心を育て続けることは、
現状でのつらさが感じられるときほど、
腹をくくり前しか向かない決意を強めることになります。



私もそのような強い心構えを軸にし、
ひとつひとつの私を構成する細胞に、
がんばっていこうと言ってやりたい気持ちです。