施術をするものにとってお客様に送れる生活の最低限とは、何かを提供

私個人の仕事の仕方ですが、一日の目覚めた朝。
儀礼的にすることがあります。


父ゆずりなのですが、
私の父は、左官という京壁などの和風のお座敷等の壁を塗る職人でした。
父は、朝起きるときに下見した現場を頭のなかに思い出す。
その脳内の現場に自分が入り込み左官の仕事をしていきます。
どこにどれだけ作業の時間がかかるかを脳内でシミュレーションすることで、
壁の材料を作りすぎたり余らせたりすることがなかったと、いっていました。


そのことを聞いて、
私も30分くらいの時間をかけて、
今日おこなうことを脳内で予行演習をするのです。


ただちょっとだけ当時より進化したのは、
私が習ったコーチングでは体を動かして体感的にしたほうがいいといいまして。
軽く手足を臨場感を得るために身体動作をいれてみて、
シミュレーション効果をあげるようにしていってます。


そのように一度、イメージのなかで動作しておけば、
そこそこ精度のいいことをやってのけられるのです。


ある程度の突発的なことがあったとしても、
いったんイメージを描いて創りだしておけば、
そこを部分的に修正をかけ対応するのは可能。


それは「見える形で視覚的構造化」すること。


意外なほどそれは成果を積み上げるのに役だつ習慣になってくれています。



ただ数日前。


ここ最近、
私の家の自宅トイレの周辺にて、
極めて危険なことが起きそうな気配を感じていました。


施術をしている人の特徴なのかもしれませんが、
直感力は画期的に向上していくものでして。
ちいさな先々の未来予想などは目に見える。
不思議ですが本当にそういうものなのです。



それでつい先日に、
「U8くんシール」を貼ろうという内容を書いてしまったのですが、
やっぱりでした。


防ぎきれませんでした。 ^-^;



トイレの床下を通るトイレに水を供給する水道管が、
寒さでもなく何かの予兆もなく突如として壊れまして。
眼に見えないところでジャーっと音が鳴り響くような、
大胆な水漏れ状態。


水の元栓をひねって、
水を止めるしかない。


そういうことが起きそうな気はしていたので。
比較的、やっぱりだったかと開き直っていて。
さほど、動揺をしていない自分に呆れている。



ただ、ちょっと想定外のことがおこりました。



以前、知り合いの工務店に洋式トイレにする工事を依頼したのですが、
その工務店は廃業したのか電話もつながらず連絡が一切つきません。
知り合いの工務店が廃業したというのは、まったくもって初耳。
想定外でした。-.-;



私のなかでは、知り合いの工務店に依頼すればどうにかしていただけるから大丈夫!
という考えでした。
そういう考えで見える化した視覚的なヴィジョンのなかで知人の工務店さんと話をするシーン。
そのような作り上げられた流れがガラガラと崩れていきまして、目が点になっていました。 ^-^;



その時点で、はじめて焦り出しました。 



「どうなってしまうのだろう?!」



トイレの床下でおきている水漏れですから、トイレの床を丸のこで開けての工事。
リフォームをしてくれるような工務店でなければ対応していただけなさそうです。


ネットで水道屋を探すも、
もう少しやりやすいような場所の水漏れ等のみが工事メニューに表示されていて、
何軒か業者をあたっても複雑な急遽の工事に対応していただけません。



数日、私の家は、水が使えなくなるんだろうな、、、。
トイレも、お風呂も、調理も、水洗いもできないから。


そこは、まぁ、、、私や母がガマンすればいいのです。


ですが、工事が終わる前に施術においで頂くお客様にも迷惑をおかけすることになります。
それで、トイレが使えなくなったというご迷惑をおかけいたしますという連絡をさせていただきました。
連絡文を書くのも、ため息を何度もつきながらでした。
これ以上、切ないメールもない気がしていました、



それが近所の水道屋さんに、もう他に頼るところがなくダメ元で電話をした時。


すると「どうにか今日中に遅くなるが状態を見にいきますから」と、
受付の女性が手配していただけまして。



なんとなく、これで、一歩前進できた。


それだけでも飛び上がるほどうれしく、
「ありがとうございます!」という思いでした。


本当に困っているときこそ、
ありがたみって痛切に感じられるものですね。



そして夕刻を過ぎてのとき。
水道屋さんがきてくれまして。
以前、私が頼んだ工務店側に工事の施工の欠陥があるのは確かだから、
そちらに連絡を取ってみたほうがいいと、丁寧に教えていただきまして。
「確かに」と、再度、知り合いの工務店に電話をするが、
やっぱり、連絡がつくこともありません。


そこで、来ていただいた水道屋さんに「お願い申し上げます」と修理依頼を改めてさせていただくと、


その水道屋さん。


水道が出てなければ、生活ができる環境だといえないんです
とおっしゃられていました。


その短いフレーズを、1時間の間に、3〜4、耳にしました。


まさにこの水道屋さんが水道屋をなさる際の信条なのでしょう。



困っているときの私どもに、
この言葉が、どれほどまで、
私どもの心にストレートに届いたことか!



早速、電動の丸のこでトイレの床をしっかり穴を開けてくれて、
抜けた配管部分を発見。
そして新たに仮設の配管としてつなげていただいたことで、
その日のうちに水が出るようになりました。


別の現場に急いでおられる様子だったので、
そこに私のところが割り込ませていただいたようで。
本日は工事をせずに、見積もりで後日にということであっても、
私としては、それでもほっと出来て大歓迎だった気持ちでした。


そんな数日間は水が出ないことを我慢する所存だったところが、
水が普通に出てきました。


うれしい反面、、、。


ホッとしたというよりも、
内心、あっけにとられた。
ホッとしすぎて脱力した感じです。


それが母がトイレに入ったときに喜んだ様子をみたとき、
やっぱり「ありがたいな〜」という思いがあふれてきました。 m__m



その日の、怒涛のような一日が過ぎ去って。


水道屋さんが、
自身が超多忙中でも工事を引き受けて水が出るまで作業をしようとしてくれたときに出た言葉。


水道が出てなければ、生活ができる環境だといえないんです



これに匹敵するようなお客様につたえるべき信条を、
施術をさせていただく私は言葉として繰り返し伝えられているか?


そんなことを改めて考えさせられていました。


生活ができる最低限の環境のひとつとして、水が使えるということ。


それと同様な言葉として


生活ができる最低限の環境のひとつとして、人はどのような状態であればいいのか。


そこをいつもは深く理解をしていこうと掘って、掘って、掘り下げようとしますが、
もっと直球でストレートな感じの対応をスピード感を持ってしていこうということ、
そこに力点を置くことも大事。
いまだにトイレの床には穴が開いていて、
それは私が匠にダンボールを加工し見えない状態にしてあります。
とりあえずそのような応急措置としてでもいいから、



「施術で臨機応変に対応しお客様の生活の最低限の環境として、
痛みが軽減して楽しく暮らせるようになっていただきたい」



という信条を語っていくことを、
一から初めていかなければと思う。


私の施術のやり方が、
丁寧にひとりずつというところを基本としているため、
その流れを崩しすぎては、いい未来は私には見えてきません。
大きなやしろを築くには、十分に準備をしていく必要がある。
それを創りだす前の準備期間に用意出来たものによって、
できあがりは決まっていくものです。




ですが、
この日は予約順番待ちなど気にせずに予約を受け付けさせていただき、
初診の方にお越しいただける日にさせていただくなど、
やりようはいくらだってあるはずです。



考えておくだけでなく、
実際にやり方の変更をトライしてみますね。
予約順番待ちを再開する前の時点ですから、
今のタイミングが一番やりやすいときです。


そんなことを考える、この頃です。


ちなみに、最近は、地道に部屋にこもって、
施術用の道具を、丁寧に補修したり、新たにこさえてます。
そのような下準備に手間暇時間をかけることがあってこそ、
施術成果のステップアップにつながっていくんですよね。


ときおり、道具の整備中に自分がいったい何屋さんなのか、
作業に集中すると思い出せないときがあって。


作業用のブロックを作りすぎて、足の踏み場もない状態に。
狭い部屋ですので、けっこう、それには困っています。^-^;