真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始める

先日、メールで問い合わせをしてくれたお客様とのやり取りのなかで。。。


(お客様からの文章を一部抜粋させていただきました)


> ちなみにコーチングは私も興味があって、
> 宮越大樹さんの動画など観て、いつか教わりたいなぁ、などと思っています。
> 原因論より目的論。ただ真理は何事も万事共通するものと思ってますが、
> 整体や病気治療に関しては本当の原因を取り除かない限り治らないですよね。
> ただもしかすると病も気の持ちようで、目的論で前向きになれれば、
> 病も自然治癒する可能性が高くなるのかも知れませんが、
> 不治の病などはやはり原因が無くならない限りは無理なのでは?などと考えたりします。
> 両方の考え方を自在に使い分けられたら、理想的なんだろうな〜と、思うこの頃です(^^


私も同感です。
目的論的にみるか、原因論的に観るか。
バランス感覚が必要だと私も思います!


そのバランス感覚がすばらしいほど、
失敗してもくじけず、
成功してもおごらず。
病というなかからも、
自身の人生にとっての意味、意義を見つけようとする人になれるのだと感じました。



去年、コーチングを勉強してみて。


やはり、自分で自分におこなうセルフコーチングと、
最高にハッピーなコーチとおこなうコーチングでは、
大きな違いがあるなと実感しました。



コーチとしてクライアントに必要な傾聴し質問する姿勢とは。
「勝手に、わかったつもりにならないこと」でした。


つまり
【 真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始める 】
ということなんですよね。




真の知への探求をするときのワクワク感やドキドキ感が大事なんですね。


誤解を避けるのは難しいのですが、
「勝手に、わかったつもりになって話をしていると、話が噛み合わなくなる」のです。
そのような益のないセッションをしていては、
継続するコーチングセッションの依頼はいただけるわけはないんです。




たとえば、
コーチがクライアントとコーチングセッションを進めるとき。


クライアントが出したお題が「英語が話せるようになりたい」だったとしましょう。


コーチが、瞬間的に自分が英会話が得意だったとします。
するとうかつにも、コーチングをしている立場を忘れた。


「クライアントは、英語を話せなくて困っているんだな。
じゃあ、私が知っている英語を学ぶためのノウハウを教えてあげよう。」


というのでいいのでしょうか?


よーく考えてもらえればわかるのだが、
コーチに英語の学び方を教わりにいくよりも、
英会話スクールにでかけたほうがいいはずでしょう。
コーチが見当違いな方向へとミス・リードしている。


ついコーチング初心者はやりがちな相談を受けた人モードなんですよね。


コーチングを学んだものならば、
どこが変だかわかるでしょう。



まずは、
コーチは、クライアントがなんとなくの思いつきで述べたテーマなのか、
それとも英会話をせねばならない深い理由があるのか、
見極めたいんですね。


だから、いいます。
「えっ、どうして英会話の勉強したいの?その背景を、ちょっと教えてくれないかな」
と質問を送り詳細を教えてもらおうとします。


すると
「就職するにも英会話が必要だし・・・海外旅行でも・・・」
という常識的な視点で述べた答だったら、


「就職するのには英会話だけスキルを磨けばいいわけじゃないんじゃないの?
それなのに、なぜ、英会話押しなんだろう?
比べるのも変だけど、
英会話で海外の人と話せている自分を想像したのと、
志望した就職先に入社して活躍している自分を想像してみて、
どちらが、より、うれしくなるだろう?」


「あっ、英会話で海外の人と話をするのなんかよりも、
就職先の確保のほうが就活中の私には必要ですね!」


「英会話も就活もどちらもあなたにとって大事なことだと思います。
だからあなたはこのまま英会話で話をしていくこともできますし、
就活をテーマとして再設定することもできます。どうだろう?」


すると、すかさず、
「今は就活を先に、
これからどうしていけばいいかを整理する時間にコーチングの時間をつかわせてください」



そのように、テーマが変わっていくことも多いのです。


コーチの側から、
クライアントが関心を持っているものってなにかを知りたいというオーラを出し、
クライアントの関心事に関心を真剣に持ち続けて質問をしていく。
そのような姿勢でコーチが関わろうとするときに、
クライアントの頭は自問自答を深め内観していくのです。


それもこれも、もしコーチがクライアントが英会話を学びたい人だと、
いわれた通りの言葉をわかったつもりになって反応しているならば。
それはクライアントという一人の思考パターン内の発想で生まれる
自分なりのテーマ設定という限度枠を超えることができないままです。


だってそうじゃないですか。
自分で、もう英会話が大事だと信じて、
そこの学習に花丸マークをつけたとき、
他のさらに大事なことが影に隠されて見つからなくなってしまったのですから!
英会話に自身の脳がフル回転させてしまうなら、他のことは見えなくなってしまいます。


そのままでいいんですか?



それがコーチという別人格の思考パターンを持ったものが関わることで、
「あなたにとって必要なこととは?」
「あなたが制約がなければしてみたいこととは?」

という質問を繰り返されて畳み掛けられていく。


そう問われるうちに
今まで考えていた大切なものの存在がゆらぎだし、
さらに真に迫った大切なものがあらわれてきます。


「あっ、そういえば、
英会話をマスターしていない人も就活で生き残っているし、
英会話をマスターしていても就活で失敗してる先輩だっていたし。。。
だったら、英会話をキーにして、いま、そこに時間を使う時期じゃないよな。。。」
と、自らさらに本質をついた自問自答を繰り返す間(ま;時間)が大事なのです。



綺麗な井戸水を手に入れるには、
浅い地層では濁り水が出てしまう。
ならばさらに下まで深く深く掘り進めていくことが大事なんだといいます。
すると、こんなに深く掘ったのに綺麗な水が出てくれないなんてと諦めようとした次の瞬間。
その最後の一回の掘り起こしをしたときに、
偶然というよりもそれは必然に近い水が湧いて出てくるものです。



クライアントには、そこで変化を受け入れ始めていきます。
コーチが関わりそんなセッションを繰り返し受けていくと、
コーチング的な思考法が身についてくるようになってくる。


いつもの自分だったら当然のように英会話に貴重な時間を突っ込んでいって、
それがまったくもって正しいことだと信じて疑わなかったかもしれない。
それで紆余曲折で波乱があったとしても、やったことは無駄じゃないと、
そう考えてこれたと思う。


ですが自分が選択したテーマ設定自体を変えてもいいなんて。
見方をマクロからミクロへと交互に幾度も変えていくなんて。


そうやっていくうちに、明らかに先程までのテーマとは違う、
さらに自分が望む未来を得るためのプランを探し当てるなど、
考えてもいなかった。
モチベーションを上げていくには、
ステートメントをよろしくテンションを上げて、
とにかく一度設定した目標を変えずにやり抜け。
そう考えていたが、、、。
はたして、それがベストなアイデアであったか疑わしい。


テーマなんて自分が日々成長していく過程でいくらだって変わるのが当然で、
変わらないままでいるほうがおかしいというのなんていわれるなんて思わなかったし。。。


人の脳の特性として、
自分の世界に入っているとき。
その枠組から外にでられない。
それは他に必要なものが目に入っていても、
脳がそれを除外して興味関心をひかないようにして目的物だけに注意を向けだすので。



クライアントの、真の関心事について、私も知りたい。



・・・ですが、決して多くはありませんが、
一筋縄ではいかないこともでてきます。



得にはコーチとクライアントとの相性はシビアです。


相性があわないのに継続してセッションをするのは、
結果として嫌な後味の悪い経験を残して終わります。


そのような恐れがあるなと感じたときには、
どうすればいいでしょう?



クライアントとコーチは、
大人と大人が対等に礼節を持って協力的にひとつの目的目指して進むものです。
いわば横目線での対等な関係。
ただし互いの非の打ち所なしという聖人でもないのですから。
なかなかつかず離れずというときもあるのですが、
コーチからもセッションを断ることもでてきます。


クライアントがコーチに次のセッションを受けないと決める権利があるのと同様に、
コーチにもクライアントに次のセッションを提供しない権利があるのですから。


つまり対人関係は、人の成長を促進させる最大の起爆剤にもなりますが、
同時に対人関係は、人の人生を狂わせてしまう原因にもなりかねません。



前者のようなコーチとクライアントが共に成長できる組み合わせのとき。
そのときはコーチがいてくれて、自分一人でいくよりも良かったと思う。
そのような同行二人と呼べるような友として、コーチを雇う人がいます。


後者のような関係を無理して続けても仕方がありません。
自身が反省すべき点は猛反省することになるでしょう。
二度目は同じミスはしないから許して下さいねと心で謝罪しつつ、次に進みます。


そして相性のいいベストパートナーといえるほどのクライアントを、
こちらから動いて必死に出会うよう努力し続けるのです。



それもこれも、始まりは、
【 真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始める 】
という姿勢で質問をするから、信頼関係が築けるのですね。


ゼロベースで相手の話を聞くこと自体、
やってみれば相当な心的な余裕やゆとりがなければできるものじゃありません!
そこには傾聴する訓練も必要になるでしょう。。。
コーチングのシーン以外でも、私はこのような起点から話を組み立てて話すべきかなと。
なかなかできませんが、努力はしていこうと思います。 ^-^



私はコーチングの思考で体の状態が思わしくない状況でもがんばっておられるお客様のサポートができれば。
そのように考えて取り組んできました。
人は自分の内側にある勇気にさらに火をつけるような発見があるとき、
不思議なほど、他の人とは違った体の改善スピードを見せることもあります。
自分の人生のつらい側面にばかりスポットライトを当てて拡大する気持ちは、
私も、少なからずわかりますから。。。


これからのクライアントの生きた証の自分史を描く際に、
少しずつでも明るい側面を共にみつけ拡張していこうと約束するようなコーチがいる。
そのような存在でいられるならば、どんなにこの仕事にやりがいを感じられるでしょう。


それに対して、今すぐの成果はでないと思います。
まだまだ人間として磨かなければならないところが多くありますから。
ですが一年、または三年も経つ頃には、コーチングスキルが身について、
その先の何かを見つけられればうれしいですね。


そのようなことを思うこの頃です。