やり切ってこそ勝機あり!

 

私が自分なりに施術のやり方を創意工夫するとき、目いっぱい必死になります。
自覚して自分の力を出し切るから、力がつく。
出し切らなければ、力がつかない。

単純ですが、そういうものですよね。


自分に100の力があるとするが、出し惜しみして50の力しか出さないままであれば、筋力も知恵も今の持ち物でまかなえます。
それではいまの自分のままで済ませられるため、成長し自己の器を広げることにつながりません。

自分に100の力があるとすると、100を出し切ったときに、筋力や知力がその先に雪崩のように舞い込むでしょう。
今の自身の100の力を出し切るほど筋肉を動かしたのならば筋肉が増えるでしょう。
100の知恵を絞ったら、筋肉の筋繊維が破壊されてパンプアップし、再成長を遂げるのと同様に知の器が広がります。
そうすることで結果的に豊かになり、しあわせになります。


体の使い方について目覚ましい進展がある方の特徴は、
自分のもてる力を積極投入し続けて自分の力の100の限界突破している。

人間としての自身の身体に備わった機能に興味関心を抱き、
身体の操作を通して、知識や工夫を活かした行動力を携えて試行錯誤をなさられる。
そうなさっておられる方は、自分が自分のことをどれだけ愛しているかを知ることになり、
その純粋さに比例して、自分の身に備え付けられていた潜在的な機能を発揮するボタンを押すこととなる。
たとえ、たまたま潜在的な機能を発揮するボタンを押したとしても、
自分が地に着いた考えで動的な探索の末に派生した気づきであれば、
やがては未知の機能があることに無自覚であった自分がその存在を知り、それを操ることができるようになる。

未知の機能が、身体には備わっています。
それはスピリチュアルなことではなくて、
バイオメカニクス的な研究成果上のことの範囲のスグレモノな機能のこと。


それによりかなえることができる生活の充実度の向上は、時には驚くほど。
その力を手にする前と後の差は、小さなものでは済まないこともあります。

そうであることを私は自分自身でも気づき、不思議なことがあると思った。
幾人かのお客様からそのような報告を受けていて、
それが再現性高いものでいて限界突破の突進力で躍進した人であることが条件だとわかった。



施術をする者、身体操作の仕方を教える者、それらの者ができることは?
そういった限界突破をしようと努める方々にとって選択肢の広いボールを出していくことのみ。
そのボールをどう打つべきだとかいった余計な強要や強制をせずに、どうボールを打ってくれるのかを見守ります。

すると、力強く打ちたい方向へ打ち込んでくれる。
驚くような独自の力量を発揮する意外性を示す人もいる。
ボールを出す側の私どもの波長とあって、阿吽の呼吸で想定した成長を遂げ、脱皮する人もいる。

いずれにせよ、施術をさせていただいたり身体操作の仕方をお伝えする者にとって勉強になるのは、
成長曲線が著しい人たちと接する機会から、その尊敬できる姿を見ることから刺激をもらってます。


付記するとすれば自分の力を出し切って限界突破をするというのは、
それぞれ各人の今の状態を元とする地に足の着いた見方でなければなりません。
どんなに優れた先生レベルの人でも、そうでなくても。
それぞれがそれぞれのレベルで発展途上で、発展し続けられる存在です。
前向きな思いと積極的な行動がツキを呼び込みます。


個人的には、すでに優れた力を身に備え付けた先人より、
明るい気持ちで子供のように自分の体への取り組みを通し変化を呼び込み、
嬉々となさっておられる方の姿をみることが好きですね~。

そのような熱量の高さを持つものが他者の気持ちにも火をつける影響を与えます。
私も、そのような方々からやる気をいただいている一人です。 ^-^)