『心に抱いたもの』が体の筋肉に現れる

にっこりと笑う。


なんだかどこぞのテレビに出る職人さん。
にっこりと笑う。


だけどなんだか変だ。


どこかココロから微笑んでいる感じがしなくて気持ちが悪い。


不気味な営業スマイル?


表情筋という顔の表情を決める筋肉を無理やり微笑ませることは出来ます。
でもココロから微笑んでいなければ動かせない筋肉があるんです。


ここの筋肉が動いているかどうかを人は本能的に見分ける。
だからなんだか気持ちの悪い笑顔になってしまい魅力に欠けてしまう。


そんなとき。


まったく脈絡もないことなんですけど、
魅力的な異性のことを思い出してみる。
自分がワクワクした体験を思い出す。


だからちょっとココロそこにあらずです。


だがそうすると胸が高鳴り心臓が早く鼓動を打ちます。
表情も生き生きとしてきて作り笑いではない笑顔になる。


つまりココロが受け取ったイメージが、
普段はコントロールできない心臓の鼓動を強く高鳴らせ早めることができ、
意識的には動かせない表情筋も動かす力があるのです。


『心に抱いたもの』が、
心筋を動かす。
そして同時にさまざまな反応を起こさせるのです。


これはとても自然なこと。


本を読んだり映画をみて、
疑似体験をすることができる。
すばらしい想像力の作用です。


心に抱いたものや描かれたものが、
自分の存在を暖かく包むもので胸がいっぱいになるものならいい。
ですが自分の存在が拒まれるような胸が詰まるようなものならば、
それもカラダの筋肉に必ず影響されるのです。



そのようすは胸骨あたりの様子をみて感じ取ることが出来ます。
私のみるときはここらへんですね。。。


心に抱くもの。
それをどう描くか。
それはいつしか習慣的な思考パターンにより、
反射的に思い描かれるものとなるでしょう。
例えばトラウマなどがあればそれに支配され、
その思いが加速していつも迫ってくることもある。


私ももちろんいろんな、
いろんなトラウマがあります。
しかめ面になるような思わずうつむくようなことも。


でもそれを乗り越えて走り続けていくことで遠くまですすまないと。
そうしないと筋肉の硬さが芯からほどけていくことがないでしょう。
人のココロとカラダの仕組み、相関関係がそうなっているわけです。


すると自分が『心に抱くもの』に責任を持たなければ。


いま自分がどう感じましたか?
なにか思い出しましたか?
その心に描かれたものが、
自分の体を和らげましたか、硬くしましたか?
そんな問いをする。


ココロの持ちようを過去のパターン化された習慣から切り離す。


そこを押さえることができればどうなるでしょう?
もちろんカラダを和らげたいですよね。
想像した以上にこんなささやかな喜び澄み渡る選択ができれば楽しいだろう。



そんなことがもしできれば。
気分がずいぶん軽くなるかも。


その気分のよさが自分を強くしてくれる。


ココロもカラダも両方ともです。


そう考えました。



いかがでしょうか?