体の使い方を研究していく。
カラダの物質面からの機能性の追求。
そこを正しく把握する。
すると今まで自分がしてきた体の動かし方が、
まったくの前後逆にとらえていたことに驚く。
驚きとともに動きを改善していく方法を模索する。
その繰り返しです。
おそらく体に負担がかかっていて筋緊張からくる発痛を感じる人の多くは、
私と同じように動き方の合理性を理解すると体が改善していくことに気づく。
丁寧にこの機能的な動きを学ぶと、
力まずしっかりした支えを得た動きに近づく。
だからはっとして、
「今までの自分の体の動き方って、
頼っていたところがまったく前後逆だったんだ」
って驚きあきれてしまう。
カラダの方向性を決める筋肉をカラダを支える筋肉として使い、
どこにカラダを動かすかを定めずに動き出す。
体を支えるための筋肉や骨格の活躍を制限してしまう。
このときの筋利用のイメージが前後逆だったんだです。
カラダを支える筋肉は太く数トンの力を支える。
カラダの方向を指し示す筋肉はわずか数百キロ程度だ。
機能的な分化した使い方ができれば体は確実に力をつける。
楽になっていく。
前後を正すと自然に体が楽になる。
そしてカラダとココロ。
この二つは現象的に見えるものと見えないもの。
だけど両方とも感覚的に感じられるもの。
体の正しい使い方が今までのパターンが誤用していたとすれば、
その場合ココロの正しい使い方のパターンにも同様な誤用が混じる。
そう、
本当に誤用パターンが似ているんです。
ココロとカラダって本当に二分してない。
同体だったんですね。。。
そのことに気づいたとき、
はっとさせられた。
そうか。
こころがどこで支えられて力を与えられて自然に立つのか。
そしてココロをどうやって繊細に使えばいいか、
その方向を指し示せばよいのか。
そこに是正するためのきっかけを与えてやる。
そうすればカラダと同様にココロも楽になる。
これはホントの話ですが、
ここに意識が集中できたときに、
初めて私の体の中の経脈が開いた感じを持てた。
カラダが変わるとココロも変えやすくなっている。
カラダのようにココロを見つめるセンスが、
どう前後の逆を見抜くのかにつながる。
ここに目が開いたとき、
狂喜乱舞した。
大切なことに気づいたようなだった。
近い将来、
ここに焦点を集めて研究し成果を出したい。