力んだ非合理的運動は心でつくられるのか?

武道をたしなんでおられる方には、
「誰にも負けたくない!」という我が働いてしまうことがあるようです。
「負けたくない」「強くなくてはならない」「頭が悪くてはダメだ」・・・
と自分を追い詰めて力めば力むほど「非合理的運動」をしてしまう。


「非合理的運動」とは、
力んでしまい体の末端を動かすだけで体の芯が硬直して動かないでいる。
疲労感が強く実力を発揮できません。


「合理的運動」とは、
力みがなく体の芯から動きだし体の末端までその力が伝わり、
体の各所は連動して働きひとつの仕事をこなしていく。
疲れも少なく実力を発揮できる。


本当は日ごろから合理的運動をするためにトレーニングしているわけです。


そんなとき他の人との競争のうえに勝ち得る強さにこだわりを捨て
「弱くてもいいじゃないか」と”こころの力み”を解放すればよい。
ふっと息をはいて肩の力を抜けば合理的運動モードに移行している。


もちろん弱いのがいいわけじゃないです。
ただ誰か他人と競いあせりを生む過ちをおかしつづけたくないだけ。
強いとか弱いとかの強弱にこだわるほどに意識が固まるときがある。
だからその緊張した意識の呪縛にかかっていたと
「はっ!」と気づいた武術家は実に驚いたことでしょう。


人前で負けちゃいけないと緊張する心があると非合理的運動になり、
それが日常化すると他の多くの生活の場面で非合理的運動をし続ける。


私もほんとそうなんですけどついつい気持ちとか心が緊張している。
そして無意識に体が縮み非合理的運動になる。
ただ今と昔の違いは「弱くてもいいじゃないか」と思える。
弱い強いの単純な世界に住まうのではなく、
私らしく生きるならばそれでよいこと。


そう思えるようになり、
以前よりも多少は合理的運動の着地ポジションが見えるようになった。
まだまだ完全じゃないですが。


意識のカタチが人の運動様子を左右させてしまう。


心に刻まれた強くあらねばならぬという信念が消えていけばいくほど、
肩の力が抜けていき合理的運動に近づく。


不思議だけどそういう気持ちでトレーニングをしていくと輝きが増す。