つもり積もった感情と体型


姿勢や体型のパターンを読むことで、
どのような感情をためているか推測することができる。


私は体型と感情の関係を示す資料を読みながらでなければ詳細はわかりません。
それはボディリーディングとして統計学的な姿勢や体型と感情の蓄積の関係を調べられた資料などがあるようです。
たとえば読みやすいところでは『からだは語る―ボディ・リーディング入門 (からだの冒険こころの冒険)』などでしょうか。
あとは均整術などの「体型および体のゆがみの状態と感情傾向」もそうです。
他にも関連するような資料はいくつもあるのです。
それらは先人の研究者のおかげです。


多くの方の施術をしていくと、
体型やゆがみ方をパターン化して認識するようになります。
パターン化しすぎては色眼鏡が強くなるのでよくありませんが、
ある程度の体の様子をみて当たりを即座に把握するには役立つ。


体型や体のゆがみ方のパターンを把握すると、
自然にどのような感情傾向があるのか察知することもできる。
ただそれは参考までに程度な知識でものですから、
お客様に「あなたはこのような感情がありますね」とはいいません。
私の職範囲を超えた占い師に近づくものです。
そんなことをいい嫌がられるのもよくない。

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ちょっと話が脱線します。
私が勝手に考えている体の緊張がどうして起こるかという仮説を述べます。


人間はもともと賢い動物。
そのためにたとえば母親の顔の一部分だけしか写っていない写真を観ても
脳の中では母の顔の全体が自然に思い描かせてくれる。
写真の一部分を観ていても過去の記憶を探索してくれ、
脳が見えない部分の像を補完してくれる。
コンピューターで人間並みの補完機能は実用困難な高等技術。


イメージの一部を観ても脳が補完してみたことがない
現実から離れたものを予測するときもあります。
つまりこの場合は
「あるがままのものを、あるがままにみれていない」状態。
人間は身の危険や苦痛を避ける回避プログラムがあります。
資本主義でがんばらないと自然淘汰されるのはあたりまえ、
って先日テレビを観ていたらどこぞのコメンテーターが言っていた。
現実問題としてそう思う。


企業であれば存続や栄華盛衰をかけて。
人間ならば生死をかけて。
潜在意識にはつねに自然淘汰されて負け組みにならないようにと、
親にそういわれたり、学校のテストがそれをものがたっていたり。


競争し続けて走り続けなければならないつもり積もった感情。


その感情が強ければ脳は補完して仮想の像を作り出す。
先ほど述べた母の顔写真の一部があれば
全部をイメージで作りだし補完する作業とおなじことを始めてしまう。
脳のなかで勝手に競争の仮想敵が作り上げられることもある。
現実に現れる敵なら倒すこともできるが、
想像で造られた敵なら勝負にはならない。
ただただ空想上の敵に攻められ緊張する。
意識に上らない潜在意識がそうさせてる。


空想の敵意が緊張を強いる。
感情の緊張が起こると筋肉は反応するようにできている。
そして特定の筋肉の部位が徐々に硬化していく。
どこの部分が硬化するか私にはわかるので、
ボディチェックする段でなるほど〜と思う。


多年にわたりそのままでいれば
硬化した筋肉は骨のような硬さにまでいたります。
つもり積もった感情が肉体の生命力を枯れさせていきます。


筋肉を硬化させて血行を悪化させて神経をしびれさせて感度を悪くさせる。
私には神経毒が体に作用させられているのと同様なことのように思えます。


ここから抜け出すこと。


禅の修行をするときに、
さまざまな雑念や迷妄が現れては消えていく。
自然が与えてくれる変化を受け入れることしかない。
そのような禅理があるとすればそれに思いをはせる。
自然淘汰や進化生存も変化する生命のひとつの過程に過ぎない。
すべては流れさりとどまることがない川のようなもの。


変化を拒み目をそむけては流れが見えず対応できず身を固め、
能動的に流れを受け入れて対応できる能力が発揮しはじめる。


自分の生命エネルギーを枯渇させようとする回路が働いていると気づく。
そのとき本来の能力が自然に内側から芽吹いていく。
生命力が満ちていく。


現実世界では競争は否めない。
だがわざわざ脳内で仮想的をこさえ疲弊しなくてもいい。


多年にわたり禅を実践している修行僧の方の体を見させていただいたとき、
迷妄が消えて四苦八苦する競争心を締め出し優劣をつけないようになると
頭の形や骨盤の形状も豊かに変化していくし筋肉もゆるみだしたそうです。


つもり積もった感情の荷降ろしがすめば体が整いやすくなるようですね。