施術者はそれぞれの根をのばせばいいと思う

昨日、2年ぶりのお客様がお越しいただけました。


2年前と比較して施術のスタイルは変わりました。


「2年前はここが手も足も出なかったな」というところがごろごろ。


実感していました。
施術によりリリースした範囲の差、深度の差。


範囲は以前には見えていない世界が、
目に見えてきた。
だからそこを解くだけ。


深度の差はどれだけ筋膜の深部層までリリースできるか。
この点も技術的バリエーションが増えて
以前と比較すれば天と地の差。
当社比なのでその点ご容赦を。


2年前のお客様の施術をして、
「そうだったんだよな〜」と。


継続してメンテナンスのため通っていただけるお客様を見てもそう。
だが2年前のブランクがあるお客様の場合にはそう強く感じられた。


私は自分の施術で「このような成果をあげた」と人に言わないようにしてる。
情報の発信は体の使い方とか書籍紹介などのほうが役立つと思いますし。
あまりにもお客様の改善がうれしくてこちらに書き込みをしたこともあるが。
そのほとんどは私の胸のうちに刻んでおります。
お客様と成果が共有できればそれで十分です。


成果を積極的にPRすればお客様数は多くなる。
ただ成果は自重自戒し、言い伝える程度が丁度。
過剰なことをいえば誤解を受け窮地に立つはず。
それは望みませんので。


成果を挙げたと喜ぶ以上に、
より完成度を上げたく考え
ハードルをあげているので
あまり喜ぶ雰囲気ではない。


人間の可能性追求はつねに充実しています!



以前は優れた先生級の方がいたりすれば
それなりの劣等感を持つことだってあった。


だが今は自分の理想を追求するだけでいい。


尊敬する先生は知り合いが多くないもので
数は多くありませんがおられます。


でも。。。
その人にはその人の考えで技術を身につけた。
それぞれがそれに大切と思ったことに沿ったことをすればいい。


同質で同一でなければいけないのではない。
技をそっくりそのまま真似たいと思わない。


自分を伸ばす成長プロセスを大切にするだけでいい。
成長プロセスは人それぞれが野太く根を伸ばせます。


今は技術力が十分でなくとも、
それはそれで成長過程である。
そう自分を含め他の先生方も
みつめる目が持てました。


その道程で先にいるかどうか。


私は歩みは遅いだろう。
でもいい感じになれる。
そう信じてきました。


やはり画期的なのは、
神社仏閣めぐりのお陰で
創造力が飛躍的に増した。^-^;


不思議な体験もありました。
信念を強くしてくれました。
私の施術で欠くことができない。


実際の話、
目黒の大鳥神社のアカガシの前のベンチで施術本を読み
次週のお客様の施術法を考えだしたりと、
場所を提供していただいてもおりますし。


ただインスピレーションに助けられるだけではない。


施術の本を見て感じるだけでなく、
集めた専門性高い他分野の本が活きてきた。
施術という表現形態に落とし込みやすくなった。


ひとつの分野を追求するにも、
「7人の専門家の意見を聞け」という。
専門バカと呼ばれずにすむようになる。
いい相乗発展型のアイデアを手にすることができる。


他の専門というとたとえばだが、
各ムーブメント・メソッドのようなものもある。
手技療法とは異質なエネルギー療法的なものも。


物理学、化学、生物学などもある。
とりあえず深すぎる内容のものは
書籍をPDFにして何度も眺める。
そんな繰り返し親しむところから
徐々に慣らしていった。


他にも関係なさそうにみえるものにも関心を寄せた。


一人でそれら広域の範囲を押さえようとすると膨大な時間がかかる。
だがそのリターンは大きい。


7人の専門家を選ぼうとするとき、
相手の肩書きを重視しないですむ。


そのようなところで
私の施術が伝統に沿った施術の形態とは異なるのです。
変なことしてるなと同業にいぶかられることもあるが、
お客様と正面向いて真剣に取り組んだ結果です。
成果がでないはずはありません。


十分な力量は備わっていないかもしれないが、
そのことを含めてお客様は受け止めてくれる。


ありがたいことと感謝しております。