一冊の本を本気で学び尽くすと、どうなったか


骨格を理想的な状態で並べていくこと。


たとえば気功をなさっておられる私の知人は、
ふかふかな敷ふとんに寝ることはなく、
ほとんど板の間に近い硬い床に寝ます。


理由はふかふかな敷布団だと骨格が歪むから。
つまり理想的な骨格の位置を調整して寝るが、
ふかふかな敷布団は体の重量がある部分が大きく沈んで、
そこから関節のズレが生じてしまう。
それが許せないんだよねという。


板の間の上できっちりと骨格を整えてから、
それから入眠。
おそらくミリ単位で骨の位置を読み修正し、
筋肉の弛緩具合、
呼吸による動き、
心臓の様子など
モニターしているのでしょう。



そのようなスタイルを貫き通しています。


世の中に多くの気功をなさる方がいますが、
その方は自分の肉体のネックになるような
気血を詰まらせ滞らせる部分をなくすため
最大限努力をしています。


人間の幸福を感じる感情の高低は、
いかにスムースに血液がくまなく巡るかに
かかっていると話を聞いたことがあります。


もしも寝ているうちに関節のズレができて
気血が滞れば気が重くなり停滞する。
それでは起きているときに気功のトレーニングをしていても、
十分な自己管理ができていないんだといいます。


気分も若く爽快ですが、
それだけでなく体内の水分代謝が滞りないため、
皮膚が40歳後半とは信じられないほどみずみずしい。
まるで10代じゃないのという感じです。


私も一時期は、硬い床に毛布を一枚敷いて寝ようとしました。
ですが風邪を翌日に引いてしまって、あえなく断念。


日頃の鍛え方が、違うんですね。


長い年月をかけて、
体の歪みを作らないよう注意を払い続ける。


注意力に比例して、
自己の責任で自分の体の健康体を得られる。


なかなかできることではないでしょうが、
実質、その方は30歳前後で、体を壊し、
それがもとで気功に救いを求めて、
たまたま書店で買ってきた本を実践した。



たったそれだけの、投資です。



どちらかに弟子入りしたわけでもありません。
買ってきた本にマーカーで印をつけて読みこなし、
わからないところは他の本を手に肉付けをする。
そんなことで丁寧に、一冊をマスターしていく。


その基礎をもとしにて、
あとは自分の感性を信じて理解と気付きを繰り返してきた。


そのような方ですから、
「私ができるんだから、望んで努力すれば誰でもできるでしょう」
と自信をもっていいます。



自分で独力で進むには、
ときには迷子になり途方に暮れたこともあったでしょう。
順風満帆ではなく、遠回りをしていたこともあったはず。


ですが独力で進むなら、
未開のジャングルに迷い込んだときのように、
必死に危険な動物はでてこないかとか、
食料になるようなものはないかとか、
自力で生きるための必死な注意力を
武器にして突き進めます。


そして最も大切なことは自分のペースで、
他者に惑うことなく進むことが出来ます。
速度を早めるも、ゆっくりするのも自由。
10年はかけて研究しようと考えていた。
そのようなスタンスで取り組めば、
基礎から応用までじっくり学べます。



そこには一貫して、
本気で、自分だったらできるはずだ、
と情熱を燃やし尽くす姿勢が必要だ。


マジになれなければ、
寒い聖なる仏閣で震えながら気を増すような修練を、
誰にやれともいわれずに、ひとり黙々とはできない。



そういったその方の背景を私は知っているので、
他の方が「いいですね、お若くて美しくて」と
さぞやうらやましそうにいわれることを聞くと。


私も、誰もがそうなれる可能性があると信じて
頑張ってみてもいいんじゃないかと思う。


興味があるのならば。



マジでがんばれば、誰にだって望み通りになれるはずだ。


ただ促成栽培では、十分な根は地中に張らないでしょう。


そういったものも、世の中にはあるのですから。


価値ある物を得るということは、
得ようとして思いが募る過程が
当初思っていた以上の価値に押し上げてくれるものです。


ただ比べることも難しいですが、
高名な先生に師事することもいいかもしれません。
気功のような、リスクもあることは特にそうかもしれません。


ですがこれは気功以外にもいえる話ですが、
良書と縁を得て地道に一冊を大切に学びつくし、
そこから独自に発展させようという気構えを持つことは、大変な意義深い。


一冊の本を大切にして使いこなすか、
本から学べることなんか知れているよと思うか。


そんなところの意識の差を感じらさせられます。