大人の贅沢な生き方には、自信家でちょうどです

先日、施術者をしている友達から電話。


詳細を語ることは避けますが、
新たな職場で、自分の力が発揮しきれないでいるといいます。
施術者として勉強熱心でキャリアも十分です。
施術力を引き合いにし調子が悪いのではない。
新規職場での技術対応レベルや傾向性なども、
勝手が初期では掴みづらくて準備不足ならば、
いずれは順応していくことでしょう。


研究熱心な時間を過ごせば、
自分ではそんなに成長したつもりはなくとも、
気づけばずいぶんと大きな山を登っています。


そんな自己の能力があると棚卸し検証すると、
現状の能力と思い込みの能力値との差を知る。
それが一番の精神安定剤になるだろう。


自分では何気なくする日頃の仕事でも、
その技術のバックグラウンドがないと
マジックを見るようにも見えてきます。


施術成果は、一切まぐれ当たりなどが
期待できるほど甘い世界ではないので。


ただ新規に務めたところの院長との会話で、
メンタル面でのブレがあると指摘されたそうです。


自分に自信がない気持ちが全面にでてしまうとき。
人の話をよく聞いて、話の流れのキャッチボールがしづらくなります。
患者様とのコミュニケーションを取るとき。
十分すぎるほどの時間があればいいのだが、
数十名ものお客様を対応しないとならない。
そうなると相手の言葉を聞いて
感情を受け止めてから、
現状の内容を話せなくなります。
自分の言うべきことを先に述べ、
多忙で時間を惜しむために話を先行させなければならなくなる。


理解を十分に生み出していくならば、
説明は、お客様の脳にじっくり染み入るように、
相手の速度に合わせて脳内処理速度に合わせて
ゆっくり話したほうがいいのです。
お客様ごとに脳内処理速度にばらつきがあって、
ゆっくり情報を注ぐよう配慮したほうがいいのです。


普段の話し言葉の所では
普通のペースでの話し方スピードでいいのです。


ただ分かりやすくしたいポイントのところには、
すこしゆっくりと端的に分解され必要最小限の
すっきりわかりやすい情報を塊にして渡します。



具体的な説明と抽象的な説明のバランスを考え、
適度にお客様自身に刺さるような説明が必要で
わかりやすければわかりやすいほど、
いい先生といわれるようになります。


具体的な説明に傾けば、
説明文量が多くなって余計な言葉が入る。
すると混乱させてしまい、不安をもたせ不快感につながります。
ですが抽象的な説明に傾けば、
曖昧さが強くわけがわからない。


施術者の力量として、
このコミュニケーション能力は大切なのですが、
やってみると難しいものです。




ここの視点について、
お客様自身は体の部分の不具合が感じられています。
たとえば、腰痛でお越しいただいたとしましたら、
腰痛部分について痛みがあると理解しています。
ですが私どもは全体を観て施術をしていくのです。


腰痛にも、
腎臓の問題などからくる内臓からの投射痛もあれば、
腰椎のズレやねじれもあれば、
臀部やハムストリング筋の問題だってあるし。
そのようなものは全体を観て本質を見抜けなければなりません。
ただそれも容易にわかるような場合ばかりではない。
いくつかある可能性の高い問題を具体的に検証して
それに対しての対処をして参ります。


あまりよい例えではありませんが、
医師の診断も、初診でおいでいただいたときに、
様々な症例を知るからこそ、
患者様から得られた検査情報や問診から、
数点の症候群のようなものに絞り込んで診断をしていくことから始まります。


そのような状況の流れをお知らせすることができて、
タイムチャート的な時間軸上の改善のフローチャートをお知らせ出来ましたらと思います。


おそらくそれを説明と捉えられずに、
いいわけだととられるようでしたら、
残念なことだと思います。


できるだけ日頃から説得力をもたせるような話法をする他の先生からノウハウをいただけるようにしたり、
書籍を読んだり、自問自答したりして力量を着けていくことで、
お客様の脳内に染みこむような情報の構造を明確にして重複や複雑さなど無駄をカットし、
綺麗に並べて料理して渡していくような説明力をもって対応する。


そうすることだけでも、
患者様との信頼関係が深まりますから、
不思議なほど情報整理されたコミュニケーションをする前と後では、
施術成果が上々になることがわかります。


施術家も人の子です。


施術成果がでてお客様が喜んでいただけたら、
いい仕事ができたなと、
ひたすらうれしくなる。


そんな仕事がしたくて、熱心に勉強をします。



ただ自分の技術力量で対応できるところから上回る難しい場合もある。
私ならば、「すいません、私には十分な技量がありませんから・・・」とお伝えします。
自分のところの看板に傷が付くとかいったプライドはありません。
早くそのことをお伝えすることは相手の次の身のふりを判断する情報にもなります。


ですが一般的には、お勤めになると、そうすることが難しい状況の場合もあります。
大きなプレッシャーになるのでしょう。



友達は「最近、どうも自分が言い訳が多くなったように思う」といい、
勤め先の院長からは、
「勝ち組のマインドにならないといけないよ。サポートするから、がんばりなさい」と。
ありがたい職場だと思えてなりません。




大人の贅沢な生き方をするには、
自分を好きになり、
自信をもつことが必要です。


自分を疑うことで徳はない。
自分を知り活かすのみです。


自分を知る恐怖に打ち勝つとき、
世界広しと言えども変わりがない自分。
そのような希少価値の高い特異な存在に気づきます。



そうして自分に運が向いてくるようにすること。



たとえば運が向いてくる言葉で、
ツライことがあっても日々洗い流すことも大切です。


最低限、私はどんなに落ち込むようなことがあったとしても、


『今日は、ありがたき、一日なり』とか
『今日、これ、よき一日なり』と言葉で感謝をしています。


そうすることで一日が思うに任せず流れ虚無感がつのるも、
かけがえのない自分の人生のなかの一日だったと発見でき
肩の力が抜けてくれます。


個人的に数年前にぼーっとした精神的にもつらかったときに、
洗足池湖畔の西郷隆盛留魂碑にて思いついた言葉なんですが。