信頼する先生のアドバイスを受け、幅を広げる人たち

昨日は、居合をしている先生のお宅におじゃまさせていただき、
居合刀の抜き方の再学習をさせていただきました。
居合と合気柔術を習っておられる60代の私がT先生と呼ばせて頂いている先生です。


ひさしぶりにお会いして、
教えていただきました。
ありがとうございましたm__m




居合刀を抜いて技の手本を魅せていただきました。


その教えてくれた先生の腰のキレがいい




私のような未熟な者が観ても明らかに解るほどのキレです。




前回、観たときとシャープさが違って、
背中の活きた流れがあるから「切られる」という怖さがでました。
こういった感覚は、本能的な体感です。
反射的に後ずさりすることはこらえましたが、
膝を抜いて半身になりたくなりました。



先生の抜きの際の目と鎖骨部を結んだライン。
そこが動くと動きの流れが感じられて、
相手はそれに応じようとします。


とりあえず逃げられるもんなら、
逃げようと急所を隠しますよね。


ですが目が鎖骨が3次元的に動かない静止した感じだと、
その静止した人の目から何かを読み取ろうと考えていて、
他の刀を抜かれていてもそちらに気がまわりませんから。


綺麗にその静止部位をこさえて、
動作する部分の仕事をしていく。
さやの抜きも目の錯覚を活かし、
抜いてなさそうにみえるように。


そうして、驚いたんです。


すぐれてバレエやダンス、舞いなどをなさる方々も、
『静中動あり、動中静あり』という流れを含みます。
静止と動作とがプラスかマイナスがゼロにつりあう。


重さや位置、そして時間の流れで釣り合う運動は美しい。。。
巨石でも釣り合えば、
一グラムほどの圧で動かせる。
そうなるから疲れないのです。


石同士が組まれた石垣は割れていて、
それぞれのパーツがつねに落ちつつ支えつつ静止している。



人体の釣り合いは、
アウターマッスル感覚ばかりでは体を割って使えません。
手、頭、首、胴体、腰、脚部などの左右中央を分けての
体の内側から関節やユニットやらでゆるめていく。


パーツに割れた石垣をまとめて巨石とみる。
適切なイメージではないが、そのようです。



その先生のいう言葉をお借りいたしますと、
体のすべてのパーツは緩み分けられていて、
力みのような居付きを消して体をつなぐと。
軟体動物のようなタコの柔らかさが必要だ。
芯の支えを創る上で、軟体部分が現れます



先生曰く「そこがきっちりいけば、施術にも役立つでしょう
というアドバイスをいただきました。


施術をするとき、施術者は感度のいい体を維持しなければなりません。
お客様の情報をいくつも察知していき、それに対して総合判断します。
そこから何をすべきかを割り出すにも、硬い体の構えのものの見方は、
視点が偏りがちで違和感を察知できないですから。
自前の判断基準だけを当てはめたにとどまります。


ですが体が柔らかく使えることが前提であれば、
自分の体とお客様の体との共感できない部位を違和感として感じられ、
「おやっ、変なところをみつけたよ」となって、
そこから新たな分析や理由付けをしていけます。


そういう人は、自分で人体のルールを発見して、
独自の対応ができるようになるでしょう。
そういった力の伸ばし方もあるのだろう。




また、余談となるところですが、
なぜ、先生の体の捌きのキレができたのか?
お話を聞かせていただき、これまた驚く流れでした。


30分3000円の50代ほど?の上品極まりない女性から
社交ダンスのレッスンを受け始めているようです。
ダンスレベルの高い先生だそうで、
その教えが居合技にキレをもたらしたのではないか。
私もそのような説明に、納得させていただきました。


社交ダンスのシャンと律した姿勢が、
軸感覚を大事にする合気柔術に生きる。


居合を私に教えてくれている先生の先生が、
社交ダンスの経験者です。
社交ダンスが体術へ活きると説明していただいておられた。


その言葉を信じて、
その目的で社交ダンスのダンスホールに男一人で飛び込む勇気。
おそらく社交ダンスのステップのひとつも解らずのまま。
いきなりの社交ダンスのステップのレクチャー。



カルチャー・ショックですよね。



内心、先生の性格を知っておりますから、
いつかは飛び込まれるのかと思いました
でも、本当に飛び込むとは。。。




新しいことに取り組む姿勢に脱帽して帰ってきました。





そういえば、私の知っていおります女性が、
声楽を始められたとき、
指導をしていただく先生が、
「ボクシングでリズム感を体に刻み込んでいくのもいいんだよ」
というようなことを口走っておられたそうです。


それが心に残り、
さっそく未体験ゾーンの、ボクシングジムへ。
心肺機能強化にもなれば声のパワーも続きます。
縄跳びひとつとってみても、
呼吸と足腰とのつながりを
見逃さなくなりリズム感も。



後日、声楽の先生にボクシング修行を語ると、
おそらくまさか本当にジム通いをするとはと。
「意外だ」という反応のようだそうです。
他の生徒さんたちにもボクシングはいいと勧めても、
本当にタウンページを開いてボクシングジムに行く行動力を持った人はいなかった。


そうなんだろうなと思います。


声楽を楽しむという世界観と、
ボクシングで殴りに行く観と。


カルチャー的に馴染まないように目に映りますから、
地続き感がなければ、いいと言われても入りづらい。


「(声楽の)先生、ご冗談を〜。^-^;」となります。



自分の幅を広げて手に入れるものを多くするには、
臆することないフットワークが大事なんでしょう。


針の穴も抜けるほどの奇跡を起こすためには、
素直に「だって信頼する先生がいいといったよ〜」
という理由ひとつで首を突っ込んでみる必要もある。



そうやって新しい出会いを作り出せる人たちはすごいですね。
見習えなければならないと感じ、日頃の自分を反省する気持。