施術の解説本で語られる見えない感覚的な情報を活かして使うかどうか

少し不思議な雰囲気のする話をさせてください。


施術を学ぶときの見えない不思議な感覚を要求されたとき。



施術のやり方は、各流派によりまったく異なっています。


それぞれの施術コンセプトに沿った手技療法が創作され、
お客様の体調を改善させるよう工夫を凝らしています。


そのもののどれがやりやすいかどうかはわかりませんが、
特に非常に繊細なタッチで、患部情報を読むようなとき。


手先や気を感じる感覚は鋭敏に研ぎ澄まされていきます。


一般の方々では理解しづらい直感を得ることで、
それを施術に活かすようなものもあります。


だが、それについて言葉でざっくり伝えるのは容易でも、
そのような感覚を生まれ持っていない場合には、つらい。


何をいわれているかが、わかるようなわからないような。
ところどころわかっても、安定性がないならば使えない。


私も未だに安定して、そのような直観医療的な感覚には、
意識のスイッチがうまく入らないこともあります。


地道に波動調整機器を利用して、
周波数による微細な情報を感じ取る質の違いを理解する。
神社仏閣で、その場その時で、気の様子の違いを感じる。


お客様の体の状態如何で、
人体は不思議な作用が起こりますから、
その情報を観察して場合分けしつつ私の頭にストックしたり。


たとえば大腰筋が育っていてすばらしいもののなかに、
感情面が安定しづらい方はブレーカーを飛ばすほどの、
家電製品を遠隔で壊すような電磁気的な作用を及ぼし、
施術でそれをある程度は改善できることもわかりつつ。
いくども私の家の家電製品を壊していただけそうにも
なりましたから。 ^-^;


また目を観て、その左右の目の大きさや位置の情報で、
加えて顎関節や頭蓋骨、胸郭のバランスを観ることで、
霊的な不思議なことが多発するような方を見分けたり。
それにより傾向と対策を練ることもできてくるのです。


取り上げてみたらきりがないほど。
情報が体には詰まっています。


見方を変えて見つめたまなざし分だけ、
より多くの情報を得られてきますから、
それらを編集して組み合わせ分解して、
情報を判断します。


私は必要に迫られて神社仏閣や瞑想で、
レーニングで少しずつ磨いていった。


もともとそういう分野には関心があり、
わかれば嬉しいものだと思いつつも、
同時にわかってそちらに偏重するのは避けたい。


そこに傾倒しすぎてしまうと、
別な面を軽視して盲点を創り、
学ぶべき重要なものを得る際の
バランス感覚を失うように感じるからです。


体を扱う仕事をしている者のなかには
そのような力を生まれ持っている人も。
少なくはないようだ。
私のように必要に迫られ地道に育てる手間がないが、
反面、繊細過ぎることでご苦労をなさっている方も。


ただ直感力が付いたものが集まれば、
阿吽の呼吸が成り立つときもあります。
言葉を少なくしても会話ができてくる。
何を相手がしているか手に取るようで。


そのようなところがうれしいものです。




そのときは、
意識のチャンネルがいつもの状態以上に研ぎ澄まされ、
自分でもなぜそう感じるのかがわからないときもある。
左脳でキャッチしてい情報ではないといえるのは確か。


チリチリ感やピリピリ感やピキーン感や様々なもので。
皮膚感覚に近いものや、他の五感から感じ取れたり。


私が筋膜リリースをするときにアプローチポイントを決定するとき。
手を使って目的の場所を目視して目星をつけ、
サササッと手で違和感を得られる部位を見つけます。
たいていは幾つもの山あり谷ありという起伏がある。
平坦でこなれているようならば、
リリースする必要はないのです。


そしてまさに最も高く山となる部分や沈み込む部分を
『ここ!ポイントだね!』とアプローチポイントをもらいます。
それから高い山から中位の山、低位の山など、
順繰りに熟れるようになだらかに崩していく。
何百何千もの、山の高さや沈み込みの底高が、
リリースするための優先順位付けに関係する。


そして私の感じた手で平坦になっていくよう、
作業を繰り返していくのです。


「それだけ」といえば、それだけのことです。


そのような情報をキャッチする際は、
ミリの半分以下の精度で場所を特定しています。



あとは的確にそこのピンポイントのマークした部分に、
道具を設置できるか。
道具を使いこなすことが難関です。
足の置き場が思うように選べていなかったり。
今も首をひねりながらポジショニングや圧のかけ方を考案中です。
圧の回数面では、頭のなかでデジタル的な数値で、
何回圧をかける操作を繰り返せばいいかが手でモニターしたと同時に解るので、
その回数以内に極力仕上げられるように工夫をしていくのです。


その部位に対して的確なアプローチをするようになると、
手応えのあるリリース成果があがってくれているのです。



私の手技のほうが大胆さが大きいものであるから、
そちらに目が行くものと思いますが、
それを支える部分があってこそ、
体を壊すことなく比較的安全に、
効率的に書き換えられるのです。



そしてそこの部分が、
実は一番、言葉で言い表しにくいことです。
ですが、そこが私の施術の80%ほどの力。


映像で施術を表現しようと休業中試みたが、
この80%の根幹に係るところが抜け落ち、
抜け殻のような形骸化物をお見せしてもつまらないものです。


そこで等身大骨格モデルを利用して作ったホームビデオで撮影したものを、
表現方法の工夫ができなくて「なんだかなぁ・・・」と、ボツに。。。 ^-^:



実際のところ、私が感じているこのような情報が
なんらかの役には立ってくれているのでしょうね。
それが大事だという思いがあるから映像化が前進できない。



ですが私が感じる感覚についても大いなる勘違いで、
偉大な先生方とは異なるのかもしれません。
他の先生が感じられていることに関しては、
私にはわからないとしかいいようがないし。


常に現状の自分自身でやっていくしかない。


私は誰かにそれを教えていただいたことは
「一切」ありません。


それゆえに答え合わせもできてませんから。
大いなる勘違いが潜んでいるかも知れない。


そういった、
感覚の未発達からの不安はありますが、
そういうこともあるため恥をかきつつ、
プライドを捨てて勉強を積むしかない。


それに見えないものを味方にするにも、
気づきがあれば昨日と今日では大違い。


見えないものも化けて見えてきますし。


それをひとつのものとして押し着せることがあれば、
実情からすれば進歩が止まっているといえるのでしょう。



目には見えない部分を味方にするには、
本や映像からは容易に学び取れません。


ですが施術成果の深化にかかわりそう。


いつまでたっても、この見えない部分。
他の先生が書籍等に書かれているものを読んでみても、
自分の感覚とマッチしたことを指摘しているかどうか?
判別がつかないで本に書かれていることがすべてではないのだろうなと、
感じ入るばかりです。