以前と体の使い方が真逆をいかなければと気づいたときに、身体操作の

以前と体の使い方が真逆をいかなければと気づいたときに、身体操作のステージが上がる



昨日の施術でのひとコマ。


バレエのパーソナルレッスンを受けておられる女性との会話。


女性:「体の使い方をバレエの先生から教えてもらうと、
ことごとく自分が今までやってきたのと真逆だっていうことがわかってきました。」


※ この女性は、
  どうして自分の体が弱化して疲れやすかったのかという仕組みを、
  身を持って身体操作法の変化から体得されたわけですから、強い!


私 :「そうなんですよ。そこに気づいてよかったじゃないですか。素晴らしい。」


※ 質のいいレッスンを提供してくれている先生に係ることと、
  習う人のポテンシャルの高さが噛み合えば、
  この事実に必ず気づくはずです。
  特におとなになってから、バレエを挑戦、武道を挑戦、スポーツを挑戦、という方々。
  それに音楽家の楽器演奏や声楽だってそうだろうと思います。
  体の使い方イメージマップのリライティングが、すごすぎることに当惑しますから。
  そのようなときは先に進みすぎたものを見ると焦りが生じ自力を過小評価するときがあるので、
  自分の裁量で興味の赴くままに注目ポイントを選び出しリライティングをしていくこと。
  部分部分の動き方を人から逐次的に教授いただくよりも、
  自分の体を観察し皮膚感覚を鋭敏に磨くことで、
  真逆になっていて正解の意味を悟ること。
  そちらのほうが大事です。


  先生を含め他人から逐次的に教えられることは、すべての正解を描ききるものではなく、
  案外と完成度が高そうな人でもそれほどではないということもある。
  未完成なところを伝え聞いて、それで頭が固まって混乱するのが他者由来の特徴です。
  自己由来のほうが説得力があるし、使い勝手をより先鋭化させて磨けるものですから。



女性:「でも、いつになったらこの真逆を全部ひっくり返してマスターできるか。道は遠いですよね」


私 :「私も昔は体がぼろっぼろっで、ひどいものの筆頭でしたから。同じような経験をしています」


※ 実際、私は自分でその体の使い方が一般と達者な人との差に気付き始めたとき。
  この方と同じように感じました。
  そして、、、僕は途方に暮れる・・・です。


女性:「鈴木さんは、いつ頃、そこから抜け出せたのですか?」


私 :「(しばし沈黙・・・)いつ頃、わかってきたんだろうか?覚えてないな・・・。」
    というか抜け出せたのだろうかという不安が、胸中によぎる。



確かに多くの方々の身体操作法が合理性を欠いていて
真逆へ移行しなければという意味は私にはわかります。


その真逆の意味を知らなければ、
身体操作が不適切な筋肉や感覚で成り立たされていて、
その延長線上で身を持ち崩しているという事実に気づかなかったでしょう。



でも、どれくらいのことがわかっているのだろうかと、
ふと、そう考えた瞬間、思考が止まりました。



私は身体操作のイメージ像を書き換えるのが得意。


特徴として、書籍や経験から得た知識というツールをひとところに関連させ共存させる。
そして新たなヴィジョンへ書き換えてしまう。
右脳の中では、ありありと新たな展開された動きが詳細に再現されている。
五感やそれを越えた感触も伴いつつ、こんな感覚だろうという体験をする。
ヴィジョンのなかで。


そして実際に動こうとするときに、
合目的な整合性のある動きの質の高さが備えられていれば、
勝手にヴィジョンを描いたとおり体が動き出してくれます。


ヴィジョンで体験したことを、
追体験している。
そして実体験で不具合が出れば、
ヴィジョンを修正して体験させ脳内シミュレーションへ送り、
先と同じように、ヴィジョン通りの追体験を体で行ないます。


イメージをする際に念を込めたもの。
そこには一定の生命を得た臨場感があり、感動や喜びの感情もやってきます。
感情が伴われた瞬間、動きの質をリライトするという作業が完了しています。
感情が伴った臨場がなければ、どのような完成度の高いヴィジョンを得ても、
以前の身体操作のままでとどまり続けるでしょう。
すると進化と逆行を繰り返します。
次に進めずに道がそれていくもの。


自己評価では、そのような自己完結型の動作の改善システムを常に内側で回し続けているのが私の強み。


つまりさほど動かなくても、ヴィジョンをディテールまで設計して書き込んで行くに従い、
勝手にそのような操作を体がしていってくれるようですから。
さほど大きな部屋でなくとも、イメトレができますし、どこででもいつでも、練習できる。
自分が疑問に思えた進化すべき方向性を得られれば、必ずその答えに近づくよう仕組みを、
きっちり脳内で作りこんでいく。


そのヴィジョン、映像を設計する手法が身体操作のすべてです。



そのようなことをする講座など、開いてみたい気にもなります。 ^-^;
身体操作法の基礎の要点は他からしっかり身につけておかねば
遅々として成長しないので、そこをきっちり伝えきるようにし、
それからの応用編。
これがワークショップ的に、お題を出して、成果発表をしてもらうと面白そう。
など、沈黙の中、フラッシュをたくように思い描いたところが映りこみます。 ^-^;





ただ<自負と無知は兄弟である>そんな言葉が頭をよぎりました。



まだまだ自分が見たこともない先があるのは確実です。
なのに物知り顔をしてしまうのも、よくないですよね。



身体操作法が、いつもの自分と真逆にして進化するとき。


いったん、自分の動作のすべてを自己否定するかのようなつらさも噛み締めます。
そして書き換えの手間の膨大さに呆れ果てます。
ですが、それが身についてしまったときには、
野太い幸せなきもちを肉体面で得られます。


女性は美しくなり、男性はたくましくなる。