筋肉の脱力をしていいときと、それをしたくてもできないとき。それは拮抗筋と中心軸の状態を観れば明らかです!

武術等を習うとき、
「脱力が大切!」とよく指導者から声をかけられます。

むだな筋肉の筋緊張があれば、緊張して筋肉が短縮しています。
そうであれば様々なデメリットがある。

たとえば、
右側が緊張し、左側が理想的な筋状態だとすれば。
緊張した筋肉は、筋肉の長さを調整するセンサーが正確に働けませんから、精密な動作ができない。

筋パワーの出力は、筋肉の伸張と収縮の差の量によりあらわされるため、
最初から筋肉が収縮していたら筋パワーの出力は大きくは取りだせない。
その場合、反射的に力みをいれた筋出力をしがちである。

筋肉と筋肉の隙間にある筋膜の中を気が通る経があります。
たとえば中国武術では内家拳(ないかけん)または内家と呼ばれる、太極拳形意拳八卦掌などは、チカラの発揮に気を重視します。
また合気道等の合気でも気をつなげるとかあわせるといった意識がありますよね。
それは筋肉に無駄な緊張があって気が末端までよく通っているからできることです。
(※)カラダの設定が整えられてきて脱力の質が向上してくるにしたがい、
気の通りがよくなったように感じられます。

ちなみに、
(※)カラダの設定が整えられてきて脱力の質が向上してくる
というのは、昨日、書いた図ですが下記の(a)図の状態に軸が立っていれば、
左右の拮抗して引き張りするロープを同じだけの大きさを持って緩めるなら軸は倒れません。
だから師匠が、もっと脱力して!といわれたらそれに即して筋の拮抗する左右両者の張りを脱力していけばいいのです。

拮抗するロープ.png



師匠に、もっと脱力して!と叫ばれても即、それに従えないときがあります。
(b)図のように左右の拮抗する筋に、一方は弛緩して一方だけで支えるという構造に陥ったときです。
この場合、先に軸を垂直に立てるべきです。
極度の緊張をわざと強いて傾斜の歯止めをしている伸びた筋は、
すでに脱力ができない状態に陥っているのがわかるでしょう。
無意識下で軸になる脊椎を極力垂直の状態でささえて、
自身の脊椎神経を守り、脊椎を立てることでの運動能力を守っています。
そうするために必要だから入れた筋緊張です。
そんな補完的な機能を、ムリに意識の力で抜こうとしても難しい。


そんな状態でも刺激を入れれば筋緊張の解除ができないわけではない。
たとえば大腰筋の上端の付け根にあたる胸椎10番あたりの両サイドをぐりぐりぐりっと、
刺激を入れていくと、左右の大腰筋は一時的に緩みます。
すると筋パワーも一時的に強めることもできるし、前屈等の柔軟性を増すこともできます。
ただしこれはわざと筋緊張をいれて身を守る機能を無理やりリセットして働かせなくしたやり方ですから、
このリセットをやりすぎれば、必ず手痛いぎっくり腰等のつけが回ってくるものです。
傾いた脊椎を放置したまま不用意に緩められては、さらに脊椎の傾斜が強くなるので。。

ですから、師匠に脱力が大事といわれて、その声に即、反射的に力みを抜いていいのは。
中心軸が垂直に立ち拮抗筋が左右そろっている人なのです。


軸が重力線に沿って立てられている状態なら、些細な力加減でそれは支えられる自立がしやすいものですから脱力が可能なんです。
軸が重力線から離れて傾斜していれば、それはすでに筋緊張し続ける筋の緊張がなくなれば虚脱したたるみ筋では自立できません。


実験として、胸の胸骨のなかほどにある「壇中」という経穴部分が人を動かしやすい点なので、こちらを押します。

(a)図の安定体で立てている人の壇中を押してみると、梃子でも動かない。
(b)図の状態で立っている人の壇中を押してみると、軽く押すだけでも容易にぐらつきます。


武術などをなさっている方で、実力が付きやすいタイプは『(a)図の安定体で立てている人』なんですね。
この安定体の度合いを、私の知っている方の合気柔術の流派では{身体づくりが進んだ}という表現で呼ぶのかもしれません。
技を修練を持って覚えることも大切ですが、その前提として(a)図の安定体で立てている人になるよう気を配ることも忘れてはならない。
という思想・哲学を持っておられるのでしょう。



また(a)図の安定体で立てている人となれば、血液を通す血管の詰まりも少なく、経絡の中を流れる気もスムースに循環できるので。
私には健康で長寿な方の姿勢であるようにお見受けいたします。


私は
(a)図の安定体を整えられた身体としての整体と呼び、
(b)図の軸が倒れたよこしまな状態と邪気の入り悪さができる状況下におかれているのだと考えます。

カラダの筋膜を整える理由も左右の拮抗筋の乱れを改善させる意味合いがあり、
体の使い方のノウハウを伝えようとするのも安定した体を定着していくヒントやきっかけになっていただければという思いがあります。

かくいう私自身も、いまだに邪体の状態を引きずって歩いてはいます。
ただ、日々、少しずつでもそれを拭うと決めてゴールへ目指して歩み続けています。
私が求めるゴールは高いから先は長いですが、
昨日までの工夫してつけてきた筋肉の凝りにありがとうと告げて、
これからも別のやり方でぜひ頼むよとお願いする日々です。



最後に余談ですが、ここからは私の私見です。
丹田を持って人体を観るというのは、
ざっくりした概要のとらえ方で、それはひとつずつ分析的に人体を分解して統合するときに思考しやすくするツールにもなります。
頭部を上丹田として、その中心を求めれば「脳下垂体」という、脳から下垂した小さなホルモン等を出す器官が中心。
胴体全体をひとつと統合して観れば、「腎臓」が中心。
胸郭部を中丹田とすれば「心臓の上端」当たりを中心。
骨盤内を下丹田とすれば、男性にはない臓器ですが「子宮」がが中心。

これらの位置取りを中心点に感じ取れて、それらを精妙に下から上へと重さの関係性を感じながら積み上げること。
それはざっくりとした(a)図の安定体を得るための第一段階の要件だと思っています。

ちなみに、上丹田視床下部が自律神経系の親玉ということもあり中心だろうという方も、だいぶ多くおられるのですが、
個人的には腎臓とホルモンで結ばれる下垂体の関連性と相性と、
それにも増して下垂体の遊走できそうな組織の形態が上丹田の中心にふさわしいように感じられる次第です。
おそらくこれは少し変わった少数派な考えなので、こう考える人もいるんだなっていうことで、その意味で参考になれば幸いです。