筋膜癒着がもたらす麻痺とは

施術中の出来事。

お客様が、長い年月を経て筋膜の癒着を内部へと進行された部分をリリースしているときのこと。
先程まではお客様は平気な状態でリリースを受けておられました。
かつての私からの解説「筋膜が癒着が著しい場合、癒着箇所の炎症があったとしても麻痺が進行して痛みがでないことがあります」という内容を記憶されていて、
お客様「筋膜が癒着して痛みが麻痺して感じられないというときだけど、そういった癒着が解けて血行が蘇ったら。瞬間で痛みがでてわかるもの?それとも後々になってですか?」
という質問ををいただきました。

筋膜の癒着箇所は、虚証が進行しすぎていない場合で炎症物質をだせる力を有している場合。
すべからず血行不良を生じて酸欠で栄養不足を警告し、
血液を優先的に回してくれという要望を脳に伝えようという「炎症物質の排出」をしています。
ただ血液の流れが極端に減少すれば、炎症物質の排出をその血行が停滞して虚血状態に陥るも、
排出された炎症物質の量も減少し脳はその部位の異常を選択的に問題なしと判断するのです。
炎症があっても痛みがでないという麻痺の進行があらわれます。
その麻痺が進行した状態がひどく栄養の補給が困難な状態に陥れば痛覚神経がいなくなりますから、
そこまでの状態になれば血行が再開されて炎症物質が組織から出ていたとしても無痛でしょう。
その麻痺が進行した状態が、上述ほどまでは退化侵食されておらず痛覚神経がある場合、
血行が再開された瞬間に、癒着組織から出ていた炎症を痛覚神経が感知して痛みの警報を鳴らします。
その場合は、先程までは麻痺状態があってまったく痛みがなくて平気だったところが、
状況一転して間髪おかずに痛みが襲ってきます。

お客様は、先程までは痛みがなくて余裕でリリースを受けていたところが、
リリースが進み血管を圧迫して止血停滞した血流が再開した瞬間、
「あれっ?おかしい、痛いじゃないか!?」と驚いた。
それで私に、質問したのでした。

実際のところ、麻痺した状態の癒着組織があれば、
筋肉の収縮ができないエリアと化しています。
静脈血は静脈血管を、それを取り囲む筋肉の弛緩と緊張の繰り返し圧迫が血液を心臓へ戻すポンプですが、
そうしたポンプの働きが低下して血が滞り、その滞る血があるため新たな動脈からの血を受け取れないでいます。
そうなった組織は酸素や栄養を得られず、粘度が強い排泄物と二酸化炭素のガスが居座ります。
そうした組織は一定期間で自らその組織を分解してあらたな健康な組織を再生する力が状況に比例して減少し、
壊れかけのあばら家状態と例えられるようなもろい状態になっているから、取り扱いが難しくなります。
筋膜の癒着が進行した箇所は、そこまで進むと、ちょっとやそっと休息を得たとしても改善が期待できず、
かえってそうした虚弱した組織が周囲の組織の脚を引っ張る現象が起きて、コリや癒着のエリアが増殖していき、
徐々にそれは深層部位に沈みだします。
そういった状態を「表を通り越して裏に入った」という言い方をすることもあります。

そこに陥った状態から抜け出すことがえられるきっかけが、
老廃物が貯まる血が居座って新たな血の足らない結果起きた虚血状況を抜けることです。

そのときのサインの一つとして、今回のお客様が感じられた、
さっきまで無痛が、一転していたたたたっと痛みを感じる状態の訪れです。
脳がその痛みを感じたところに問題を感じた瞬間、選択的にそちらへ血液を多く回す仕組みがあります。
それが役立って癒着で弱った組織には新たな栄養を多く届けられ、徐々に汚れもゆるく拭い去られていき、
そのステップが安定しだしたときそうした旧来から使い続けるしかなかった傷んだ組織を取り壊して
新たな組織の再興に乗り出していきます。
そうした流れが一連で終了したあとは、しなやかで生命感のある筋肉や組織へ転化した状態が見受けられるのです。

そうした流れからも、
できることなら体組織内に炎症を出しても感じ取れない麻痺状態箇所を自身のカラダが持っていないかどうか。
若いカラダを維持運営していくには調べていく必要があるのでは?

そうした意味合いで筋膜リリースの研究を得意にして
麻痺がどのように起きているかを見抜ける施術者の活躍の場はあるのかもしれませんね。

ただし古くからの裏に入った状態のコリを持っている方の場合、
通常、変化が起きるには、相応の計算と適切な量の手間をかける必要があります。
個人的にできる範囲でそうした手間を惜しまないようにと考えて施術をさせていただいております。
そうしたことを徹底的にすることで、わかってきたこと、みえてきたこと、それがたくさんあるもので、
それも私自身の宝物のように感じています。