繊細な体の使い方を学びとるとき


繊細な体の使い方を学びとるとき。
知識の一部は伝承できるが、
多くは自分の内側で熟成されるもの。


そういうものと思います。


巨人の桑田投手の2002年ペナントレース
桑田投手は古武術家:甲野善紀の体の使い方を学びました。
以下の本でもその一端が紹介されています。


古武術に学ぶ身体操法』甲野 善紀著
「ためない,ひねらない,うねらない」という古武術身体操法が,
桑田真澄投手を復活させ,....


当時、一躍脚光を浴びました。


桑田投手は運動センスの優れた選手ですから、
甲野氏の影響を受けた部分が多かったようです。
古武術の知識や要領をを身につけることができ、
印象に残る活躍をされました。


それから数年経ち。。。
今、去就問題を取り上げられています。
投手という激務ですから、
ひとかたならぬ肉体不良もあるでしょう。


甲野善紀氏の動きのままでよいかどうか、
はここではおいておいてくださいね。^^1


ただ数年前に脚光を浴びた『投げ方』が、
影をひそめたのは確かのようです。


桑田投手ほどの真剣さと運動能力を持つ人物でも、
自分の内側で熟成されなければ
自分のものにはできないのです。
他人の一部の知識では役立ちませんでした。
かえって他人の一部の知識を未消化で受けると、
消化不良で下痢を起こすときのように力が出ない。


知識の一気食いは美味しくないものです。


投手という業務のエキスパートは桑田投手自身。
次の彼の進化形を見たかったのは私一人ではないはずです。


巨人軍公式サイトの桑田投手のエッセイ
http://www.giants.jp/G/person/kuwata/

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繊細な体の使い方を一から自分で考案すれば、
それは創始者である自分のものに違いありません。
だがこれはかなり時間と創造力が必要。


たいていはそのノウハウを教えられて学ぶものです。
それが早道ですよね。
創始者が50年かかった努力も1/10である程度身につくでしょう。
そういうものかもしれません。



視点を変えてみましょう。
自分の内側で熟成し身につけたものを人に伝えるとき。
言葉で伝えにくい部分がでてくるのです。
脳の中では身についたと同時に、
どのような手順でその動作をこなすか意識しなくなる。
それは大脳で考えて動くステップを越えて、
小脳でオートマチックに動くステップに移行します。
考えて動いていたのが考えずに動くようになります。


動きの自覚が消えるか薄れるのです。


考えながら動く必要がないので、
脳を酷使して緊張状態で動ななくてすむ。
自然に他の動きと融合し出すのです。
これが『化ける』とかいわれる状態。


ここまできて『使い物になる』のです。


使い物になるまで達した方は、
理知的な追学し再検証する場があれば、
『うん、うん。そういうものなんだよね〜』と、
嬉しそうに確認していくでしょう。
逆に『なるほど〜。俺って賢くない?!』^^1と。


でも普段は小脳レベルの自動化された無自覚な動き。
動きが技化すると空気のように見えない存在いです。

他の人への説明は、
どんな説明の仕方になるのでしょうか?

そうなればことさらに手順割りせず、
『自分が気になる』要点をかい摘む。
そういう説明になっていくようです。


こういうとき含蓄ある名言がポンッとでてきたりしますよね。
わかったような気がしちゃえる名言です。
こういうのほどけっこうやばい。^^;


体がわかる前に頭がわかり切ったような気がしちゃうと、
腑に落ちたようでいて本当に大切な本態が見えなくなる。

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丁寧にこのような動きを分解して伝えてくれる先生もいます。
膨大なステップで書かれたコンピュータ用のソースコードを、
一つのオブジェクトごとに抽出して提示し説明。
それは終わりのないほど繰り返されていきます。
幾百ものオブジェクトをひとまとめにして動きができている。
その本質を理解して分解されているわけですから。
伝えるには時間が膨大に必要なわけです。


そういう先生は常に進化するので、
なおさら終わりがなくなるんです。
うちで働く関根は3年以上先生にお世話いただいてるのですが、
終わりはありません。


それゆえに可能性は今後無限に続くのですね。
そう考えていく心をもてば確実にその思い通りになるものです。
自分の内側で熟成されるまで精進を続けられるかどうかなのでしょう。