意拳の站椿功(立禅)をちょっとだけ齧りはじめて・・・

ここ最近『意拳』関係の書籍を探し回っています。


特に『武学探求』(光岡 英稔 (著), 甲野 善紀 (著))を読んでから、
その探し回る取り組みに熱がはいりだした。
特に光岡氏の武術への取り組み姿勢に関心。
そして感動。^-^;


意拳意拳の站椿功(立禅)は、
ワークをするための私の体づくりに活かせるはずだ。
様々な書籍を当たるとそう確信できた。
それがこの本を読んでその思いがますます強まった。
小躍りしたくなるほど久々の大発見かもしれないと感じています。


意拳の站椿功(立禅)は、
自分との対峙をして飽くなき体への探究心を実らせるための型。
もちろん漫然と立つだけではいけません。
外見上見えない体や意識の内側で、
常に大きな仕事がされつづけている。


当初の取り組みは、
一人で試行錯誤をしながら本でできるだけ学んでみる。
そのつもりでした。


書籍やメディアで得られる知識と書籍では到底得られるはずがない体験。
ひとまず書籍から吸収できるところは徹底的に吸収する。
そしてここにきて経絡の勉強を最近躍起にやってきたことと、
神経や経絡という体の中の電気(=神経)と
経絡(=LANネットワーク)の意味合いもわかってきた。
それが体を若く健康を維持するためにとても役立つ。


体の隅々まで神経のみならず経絡ネットワークで明るくしていくべきもの。
それは自律神経系に精通した動きの質を推し量る材料となる。


体のなかを通る筋膜ベルト。
それは足先から頭頂まで幾本もの筋膜の長いベルトがかかわり体を動かす。
経絡ネットワークを断線させず隈なくネットするようにして、
筋膜ベルトと連携させるのです。


筋膜ベルトと経絡ネットワークは一部オーバーラップしているところもある。
とても興味深い。
この筋膜と経絡の二つの流れを観察しながら人間の健やかな動きを模索。
すると今まで感じていたが説明できなかったものに気づくことができた。
『なるほど、そういうからくりだったのか』と一人で納得。


このような隈なく体の中のネットワークを作り上げる作業に、
意拳の站椿功(立禅)を使うのですね。


多々まだ私は浅薄な見識ですから誤解も多いのですが、
地道に勉強してます。


数年後が楽しみです。^-^)