結跏趺坐から「左右揺振」するだけでは、十分に経絡が整わないようなとき

座禅を組むとき。


全生庵という谷中にある寺に参拝に行った際。
そちらでは参禅修行を受け付けている。
たまたまその時間にあたったのだろう。


多くのがたいのいい男性が集まり、
見る見る間に禅会場となる本堂がうめつくされていった。


各々、ストレッチに近い柔軟体操を初めている。
どの人を見ても体が十二分に柔らかく仕上がっているようです。


座禅を組むとき。
坐禅の形をとるだけで座っているだけじゃないか。
それなら、別に柔軟体操なんて必要ないんじゃないの?」


そんな疑問が湧く人もいるでしょう。


通常、禅を組む前に「左右揺振」という結跏趺坐をきちんと組んだ後に、
体を左右に揺するという過程があります。


体の内側に経絡という自律神経系の調整力あるネットワークが張り巡らされています。
経脈には気が流れることにより、肉体的にも安定する状態へと至ります。
その肉体的安定性が、禅における精神的な集中・リラックスへと導くのです。


これは日ごろ体を動かす際の悪癖により、体の片側のみが特に使われる傾向があります。
利き手や利き足があるとなれば、無意識のうちにそちら側ばかりを使いがちになります。
つまり片側へと偏った身体運動の連続が日常生活の上で行われているのです。
体の左右をある程度の機能分化はやむを得ないが、
それが行き過ぎれば不自然な動きにつながります。
歩いているときに、左右の手足の出方がアシンメトリーになってしまうなら、
その四肢に気血を巡らせるために伸びた経絡が確実に縮む結果となるのです。
さすれば、片側の内側に在する経絡が筋の過緊張等で萎縮などからの肉体的不調が起きるでしょう。
そのままでの禅をしても、肉体的なノイズに気が削がれ、
自身の内面を内省する修行成果は実ることはありません。



そこで、まずは結跏趺坐を組んでから7〜8回も左右に体を揺するようにして、
経絡の左右差を解消しなさい。


「左右揺振」について『天台小止観』では、
「(結跏趺坐で手足を組んで)つぎに身体を正しくすべし。
まずまっさきにその体ならびにもろもろの支節を挺動かすこと。
7・8反をおこなうべきです。
自按摩の法のようにして、手足を差異がある状態のままであることなかれ。」
と解説しています。



禅僧の多くは、
おそらく日頃から自身の経脈を左右差をなくさせるような生活を心がけていたはずです。
するとこのような結跏趺坐をしながら左右に体を揺するだけで、
体内の経脈の状態も改善したのでしょう。


そして全生庵に参禅をなさっておられる方々も、
各々が自身の体内で縮みだした経絡を伸ばして。
体内の自律神経系の働きの乱れを正しています。


別に経絡がどうのこうのと硬く考えておらず、
体の節々を緩め筋肉のこわばりを緩めている。
それから禅へと取り組むほうが気持ちがいい。
そのような方々もおられるでしょう。



そしてそれら経絡がどこを走行しているのか。
各々の経絡は特定の筋膜を走行するものです。
つまり筋膜の状態が異常に硬く緊張していたり虚脱していたりなど、
正常な筋膜とはいえない状況であれば、
当然のように経絡上の問題が同時に現れるということになっております。


筋肉には、たとえば「大腰筋ならば腎経の経絡に関係する筋肉だ」というように、
筋肉ごとに一本または数本の経絡が通っているものなのです。


経絡の状態を改善するには筋膜の萎縮等の問題をどのように是正すればいいか。
そのようなアプローチ方法が見えてくるのです。


筋肉があるところに、経絡ありです。


肉体を透視下のもと見つめるならば、
その経絡が通る筋膜ラインは体表部に現れる部分もあれば骨に近い深層部に至るものもあります。


そして皮膚に近い体表部はある程度のセルフマッサージやストレッチで
筋膜部の緊張を解くこともできるかもしれません。


ですが体が生まれながらという器質的な問題があったり、
体の使い方の偏りが深刻であった場合で、
それが「深層の筋膜にまで筋膜の縮こまりが著しい状態」に陥ります。


その様態が厳しければ、
その筋肉に関係する経絡の状態が悪化して異常を示しているということを現します。
そして各経絡ごとに問題が起きればどのような生理的または器質的な症状がでるか。
そちらは先人によりよく研究されており、今の時代は専門的な資料も入手可能です。



そうなった状態の人を指導する際には、
「左右揺振」で自らを按摩するのみでは生ぬるく感じるのです。。。


ちなみに、以前は体内の深層筋が硬化が著しくて、
その部分に詰まりも感じることができなかった人。


そのような方々も多くおられるわけですが、
多くはその状態に気づかずに生活を送っています。


深層筋の硬化が進むときには動脈の位置がその深層筋にかかっている場所にあることが多く、
動脈の圧迫が同時に進んでいくと痛いとかかゆいとか吊れた感じとか緊張しているなどの
体内の深部感覚は少なくなるかまたはほぼなくなってしまいます。
実際はそのような筋肉部分は酸欠気味で炎症を起こして助けを求めているのですが、
痛覚神経等の血液を患部に送るための警報機が鳴らない状態を起こしております。
だからその状態に気づけなくなっているのです。


施術を受けるなどしてそのような状態が改善し変化するにしたがって、
以前は漠然とした自身の体の不調を訴えていたものが、
それがいつしか適切に経絡線に沿った形で


「ここの狭い部分がすごく気になって、気になって。
そしてここも、そうなんです。。。
うずいちゃって、この部分を伸ばしたくて仕方なくなって、
しょっちゅう暇を見つけては、こんな感じでストレッチをしちゃうんです」


という言葉がでてきたとき。


まさに目的の経絡がからんだ部分を含めたストレッチをしておられるんですよね。
ご本人はそのような知識はご存じなくとも、
本能的に体がどのようにして体をリセットせよというメッセージを出し始めたから。



そうなると私は安心します。^-^



自らを癒やすための方法を、
人は本能的なプログラムとして身に備えているのです。
ただその状態は気の鎮まる繊細な身体の分化をかなえた状態でなければ作動しづらいのです。


それが出始めれば、基本、施術を受ければ改善の加速はつきますが、
施術は受けなくとも自力でつねに前進していけるきっかけを得れたわけです。



自己治癒力は確かに人それぞれ持っているものです。
ただ、それは体の各部の気血の流れに沿った経絡の状態に比例しているように思う。
自律神経系に経絡はよく情報のやり取りをする目として作用します。
途中の筋膜の状態が悪化したような気血をせき止める箇所があれば、
その経絡のラインが断線したかのように情報を正常に送れなくなる。
すると絶妙なバランスで体を調整していく能力を潜在的に持っているといえども、
それが発揮しづらくなりますので。


治癒力も低下していくことになるのでしょう。


ただ実感するのは、
現実的にどのレベルまで深層筋が緩まなければ、
そこが私が理想する値まで動かないものなのか。。。


それは言葉に容易にあらわすことはできませんが、
私が施術を始めた際に想像した状態を遥かに上回る難しさがありました。