『痛み』の発想の転換

今日ニュースを見ていたら、
『越前クラゲ』が日本海を覆い尽くすような勢いで、
棲息地を広げているという。


その状況を漁師達が魚の収穫高が1/4になってしまったという。
死活問題です。


そのおりに女子高生が越前クラゲを利用して何かできないか?
ということで実験をしたことも取り上げられていました。
女子高生達は越前クラゲを冷凍しそれを煮ると液状化することを発見。
フラスコに完全に液状化したクラゲを入れて煮沸して白い粉状にした。
それを取材班の一人がなめて「しょっぱい〜!」と叫んでいました。^^;


興味深い実験だと思いました。


もしもの世界の話ですが...
仮に彼女達の実験がきっかけに
越前クラゲを画期的な需要の高い製品化が成功。
いくら越前クラゲが水揚げされても困らない。
困らないどころかそれでも十分すぎる利益になる。


そういう状況ができあがれば、
今までは『越前クラゲ=落胆原因』でしたが、
一転して『越前クラゲ=金の卵』になります。


状況が変わって利用の仕方が解れば、
今までは得体の知れない落胆原因が、
金の卵に変わるのです。


金の卵ですから利益を確実に与えてくれます。
私たちに富と幸福をつれてきてくれるのです。


もしそのような都合のいいことが起きたら、
どんなにすばらしいことでしょうか?

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ここまでは本当に仮定のお話でした。


私にとって、昔、痛みとはまさに越前クラゲのような存在。
つまり落胆原因でした。


『あぁ〜。ずいぶん体の使い方を工夫しているのにまだまだだ』
と自分を責める材料になっていました。
使い方を深く理解できれば痛みが発生しないはず。
そういう思い込みが強かったのでしょうね。
痛みがでれば落胆して気落ちしてしまう。
そこから這い上がるまでに、
失った気力を取り戻す時間がかかる。


ところが修行を続けるうちに『痛みのとらえ方』が変わってきました。


特に私が体の研究過程で感じる痛みの質を考える。
客観的視野に立てば知識の蓄積が定着してきている。
少しずつですけど私にしてみれば有り難いことです。
それを素直に評価するようにしました。
すると痛みがいろいろなことを
教えてくれていることに気づき始めました。



『痛み』がでてきて動きの不都合がわかる。
だから改善ができるんです。
痛みがなければ黙って朽ちてしまうのです。


痛みがあるところは、
まだまだ神経に血液が届いていて回復しやすいところです。
痛みの麻痺が始まっているところこそ怖いところですから。


痛みは僕に改善ポイントを教えてくれています。
同時に痛み具合でどの程度のダメージかが解る。


あるものは使えば良いのです。


痛みを『落胆原因』にして目をそらすよりも、
痛みを『金の卵』として大切にすれば
痛みの意味が解ってきました。


主観的な目で痛みを苦しいだけのやっかい者と観ていたとき。
逃れたい一心でした。
客観的な目で痛みの意味が解りだしたとき。
痛みのありがたさが身に沁みました。


そう考えるようにしました。


そのような目が育つにつれて、
『痛みが発生する部分は、
こんなふうに体の前後が馴染まずに分断している。
じゃあこの前後を馴染ませればすむじゃないの。』
と体の内部でおこなわれる対話が、
よく聞こえてくるようになる。


痛みの客観的意義が見てきて、
痛みが僕を責めているわけじゃないことに気づく。
カーナビのように
『この膝内側、奥2.5cmに筋膜の癒着あり』って、
繰り返し教えてくれていただけだったんだ。


痛みの声に素直に耳を傾けていればいい。
そして痛みの箇所を教えてくれると同時に、
痛まない姿勢や体の使い方をすれば痛みが消える。
正しくて負担のかからない改善方法を教授してくれる。


ひたすら客観的に観察する。


まぁ、だから他の人が役に立つときがあるのです。
たとえば治療院の先生が観れば客観的な目で観察します。
そして痛みの意味が解りだせば
痛みは癒しへのナビゲーターであることに気づくのです。


本当に現在進行形で痛いときには、
客観的に痛みを見つめるのはしんどくて難しい。
少し体調がよいと感じるときに、
自分の体に痛みが感じられるところはないか、
耳を傾けるようにしてください。


痛みの有効性を悟り、
あの越前クラゲの大群を富を呼ぶ金の卵のように、
あなたの意識の中で化けさせることができたとき。
若さと健康は日々増進していくものだと思います。