身体の使い方を研究するにあたって。
一点にまたは数点に過剰に意識をあてることがある。
例えば大腰筋が使えていない自覚があれば、
大腰筋を使えるように意識を集中する。
すると一定期間動きは改善されたように感じることもあるだろう。
だが時期に不具合を感じだす。
一点集中には多くのものを隠す性状があるからです。
大腰筋を意識し過ぎて他の筋肉の制御やバランスのいい動きは無視される。
すると痛みや張りや不快感に襲われだす。
そのときに体内で起きている現象は、
【一点意識の過剰←→多点意識が阻害されている】
というアンバランスが生じている。
ただこれも今まで利用したことが少なく意識されない筋肉。
その中に仕込まれた怠けてしまった神経。
それら筋と神経に適度な発達を促すことができる。
脳は意識的にその筋肉を利用しよう努めたことで
新たな身体の使い方の模索をしはじめる。
その意味で考えれば、
避けては通れない道。
多くの方が身体を開発していくときに
【一点意識の過剰←→多点意識が阻害されている】という状態に陥るだろう。
そのときになんらプランなく書籍などから読みかじって
『大腰筋を鍛えよう』と盲目的になればそのアンバランスの反動を受けて戸惑う。
そしてこの時点で『あの考えは間違えに違いない』という。
ただ本当にすべきことは
【一点意識の過剰←→多点意識が阻害されている】
となって大切な一点に意(イメージ)が入り使えるようになったとき、
【一点意識の過剰←→多点意識の疎】から抜け出すこと。
それが過剰に意識して痛みや不快感がでてきたときに考えることだ。
集中した一点をいかに身体に馴染ませるかを考えるステップとなる。
そこに進まなければそのトレーニングは大失敗に終わる。
バランス悪い一点過剰な使い方を覚えてしまいのちに影響するはず。
『悪い癖を覚えて抜け出せなくなる』というパターンです。
こういうパターンはワーク中によく見つかるものなのです。
簡単に取り去ることはできないほどに定着をするものです。
身体の各部分は常に協調しながら活躍しているものなのです。
時計に内蔵された歯車のように、
一つ一つが意味を持ち動きます。
一つの歯車が協調性を乱せば、
すべてに必ず影響が出るのです。
身体も同じこと。
一点意識集中を常におこなえばその協調が崩れます。
それは当然のことなのです。
だから一点集中を利用するときにはそのリスクを理解して、
その引け時・馴染ませ方を意識する必要があると感じます。
ただし引け時や馴染ませ方の判断は難しい。
自己判断できるだけの知識があればいいが、
身体を壊さない深い知識がなければ困難です。
素晴らしい身体能力と知識を持った知人のダンサーさえ、
その引け時を誤って内臓コアへ疾患を負いました。
安全性を確保しながらと考えると、
優れた能力を持つパーソナルトレーナーが必要です。
結論で言えば、
【一点意識の過剰←→多点意識が阻害されている】トレーニング方法より、
身体の意識を多方面に満遍なく使うプログラムのトレーニングが安全です。
自分の身体の中の勁道を閉じないように意識をしながらのトレーニングです。
勁道という身体のコアから末端まで順繰りに力が波及していくルートを
感じながらのトレーニングをすれば良いのですね。^-^)
画期的な成果が叫ばれる運動法のなかには、
ここ一点を改善させようというものもあります。
シンプルでわかりやすいから一般に好まれるためです。
ただ入り口を分かりやすくした説明上そういうだけで、
入門した後に様々なポイントを教えるものもあります。
最初から複雑な要点をポンポンと出されると誰も気後れして近づかない。
それを避けるための工夫が伺えます。
ただ一点改良型のトレーニングをすれば、
時期に身体のアンバランスさが増幅して、
入門に至らず誤解した人々が離れていくように思います。
そういうところのジレンマを感じて止みません。