『気づくまではないも同じ』

『気づきが大切ですよ!』
このような言葉を同業者同士で掛け合うことがある。


[センサリー・アウエアネス]という書籍が好きな私にとっては尚更です。


たとえ目の前にあり目に映っているものでさえも、
そこにそれがあると気づくまではないも同じ存在。


ただ一端その存在に気づくと当然のごとく見える。
見えていたものが気づき次第で別物に感じられる。
深い意味が読み取ることができるようになる。
意味がわかり始めると少しずつ深読みもする。


例えば身体の使い方について。
姿勢(フォーム)が活きているかどうかを大切に考えます。
姿勢が整っていなければなりません。
ここはごまかしが利かないところですから。。。
それは物理秩序に支配された身体の宿命です。
力学や化学などの物理法則に、
身体の解剖生理や奥に隠れた仕組みは支えられる。
それにより骨道や勁道が活かされる。
そして姿勢が活きて次に動作と移行。
そこには身体を分解して考え、
連携を見つけ、
再度つなぎ合わせて、
連動させるという過程が入る。
こうして特に関節部分や筋膜層に生じやすい
「詰まり」「エネルギー漏れ」「滞り」を防止する。
体内の気や体液(血液、リンパ液、組織液..)が循環してフル活用される。
生命力が強まる。


『姿勢が大切なんだな』って合気道の投げなどをみて気づく。
それがきっかけになりいろいろと勉強をし始めて気づきだす。
すると今までは見えていても見えなかった強者の動きの仕組みが
見え始めてくる。
ただ見えたからすぐそれができるというほど甘いもんではない。
だが自分の脳がその存在に気づき始めると確実に内側から変化が始まる。
そして気づきはさらに深まりだす。。。


ただ気づきが始まるきっかけが大切で、
まるで自由な子供ような好奇心をもち、
紛い物を確かめ削り取り続けなければならない。


そして他人が何かに気づいたとしても
自分が気づかないとあまり意味がない。


気づきとはあくまでも個人的な進化の道程でしかない。
その道程を歩むのは他人。
そのまま自分に流用することはできません。
自分には自分の気づくべきテーマがあって、
他人には他人のゴールがある。
冷めた目で言いますが、
私が観ている今の気づきは
正解でもなんでもありません。
多分に妄想の産物に近いものです。


でも気づきだすと人生が楽しくなる。
気づきとは愛や自然とのつながりを確かめる触手なのでしょうね。