『無門関』を読み始めて


『禅』を理解することは、
個人的に身体を深く理解するために進んでおこなうべきことと思う。


たとえば私が好きでならない書籍『センサリー・アウエアネス』の
身体への深い探求のはじまりも禅の教えに導かれたところがあるし。


そのため『無門関』を少しずつ読み始めています。
無門関(むもんかん)とは、
中国宋代に無門慧開によって編集された公案集です。
いわゆる「東洋的無」「絶対無」の原典として世界的に著名。


まずは注釈はあるが解説はない書を読んでみる。
最初には「犬にも仏性はあるか」に対し「無」と答えた、
というだけの内容であるが禅者が最初に与えられる課題。
これを解くのに3年はかかるといわれている。


この課題に対しての解答を述べる書もある。
それを読めば「あぁ〜、なるほどね」となるだろう。


ですがそうしてしまえば一体何が自分に得られるか?


行間に湧く思索のおかげで大切な気づきを得て消し去るべきものをつかめる。
仏性を開くために必要な自らの未熟な自然観をぬぐうことができる。


そのときに心を乱す幻想をぬぐうことができるのでしょうね。
既成概念とか・・・。


その気づきは心だけではなく肉体にも大きな変容をもたらす。
無骨で粋のよい知人の禅僧を観てそんな気がしてなりません。



余談ですが、
世の中にはいろいろな幻想がありますよね。
脳は意外とおバカである

書籍の『脳は意外とおバカである』という本を読んでいると、
脳はもともと気づかないうちに幻想なり妄想なりを描きやすいんだなと痛感。