体の使い方を学び成長する方々への共感

次から次へ出てくる試練。


『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』という本がある。
そちらの第一章の「基本的な考え方」で語られていること。


あるピアニストはさまざまな障害を持つ。
ラフマニノフの弾き過ぎだから」というようなことをいう。
だがピアニストにも生涯にわたり体を壊すことのないものもいる。


この両者を観察すると運動解剖学的な体の使い方に沿って
体が使われているかどうかに決定的な違いがあることを見つけた。


ピアノを弾くことで体の部分を傷めたり患ったりするピアニストは、
運動解剖学的に誤った使い方をしているという。
だからもしそのピアニストが運動解剖学的に正しい使い方をすれば
生涯にわたり体を壊すことがなくなるはずだ。


ムーブメントを伴うようなボディワークやダンサーや武術家などは、
その意味がよくわかるはずです。


ただ同時に徐々に体にかける負担は増加する傾向にある場合。
昨日の目標よりも今日が高くなってしまう。
常にムリすれすれかそれを上回る極限を追求する。
それが繰り返されて成長が生まれるわけですが、
その成長にも終わりがあると思っていたら、
進化は止まらない!!


そんなときに疲労困憊して自分のペースが乱れてしまう。
『スランプ』に陥るわけです。
やる気が起きないとか体調を崩したりストレスから逃げたくなったり。
自分がこれほど疲れてしまうのは「ラフマニノフの弾き過ぎだから」と
おんなじ様なことを言い放ってしまいたくなるし、
頭の中では本能的な悲鳴をあげてしまう。


これは私もしばしば経験する日常茶飯事のことです。
つらいんですよね〜。
肉体的にも精神的にも。




運動解剖学的な体の使い方に沿うようにがんとしてがんばる。
これはものすごい運動解剖学的知識と自己客観視と分析力がないとなりません。
ぎりぎりで研ぎ澄まされた状態に追い込まれるので、
かなりストイックでなければつとまりません。
かえって成長にストッパーがかかりマイナス面が出てきてしまう。
そのマイナス面をかぶりながらも突き進む。


または3歩進んで2歩戻る。
ゆっくり確実に進んでみるのもいい。
時間はかかりますが疲労感が少ないですみますよね。


・・・。
でも貧乏症の私は前者を選択してしまいがちです。
もちろん私の場合はピアノじゃなくてワークでですけど。


そしてこれは私だけの悩みじゃないんです。
がんばって体の使い方を勉強して
成長しようとしている人はみんなここで苦しむんです。


私はそのような方々に強く共感をしてしまう。
今日この頃です。^-^)