「なぜ勉強をするの?」の2つの姿勢差

L.ロン ハバートの『基礎からわかる勉強の技術』の
「なぜ勉強をするの?」から。


タイピングクラスを受けるときに、
ふたつの取り組み姿勢があるといいます。


A子さんは、
『このクラスでタイプを早く打てるようになりたいわ』


B子さんは、
『私はもううまくタイプできるわ。
必修のクラスだから受けてるだけよ』


A子さんはタイプをスキルアップできるという気持ちがある。
B子さんはタイプについてはもう全部知っているという気持ちがある。


するとA子さんがタイプ練習をすると、
自分が知らなかったことを学べた達成感や充実感がある。


だけどB子さんがタイプ練習をすると、
自分がすべてを知っているわけではないことを認めざるを得なくなる。
学ぼうとするよりも、
人は今までの自分を否定されたくないという守りの気持ちがでてくる。


結果として
A子さんは
『すごい!本当に早く打てるようになっていくわ』
そういって嬉々としている。


B子さんは
『学期末レポートのタイプなら誰かを雇えばいいわよ』
顔をしかめっ面させている。


ボディコントロール方法についてもその考えが流用されるだろう。


すべてを知っているわけではなくもっと学べそうだと考えて取り組むか。
すでにすべて知っているつもりで取り組んでいるのか。


生まれてこの方、
カラダはちゃんと動いてくれていた。
当たり前のように歩き、
当たり前のように立つ。
そしてカラダを動かしていた。


今まで動かしてきたキャリアは長くエキスパートといってもいいだろう。
ことさらにカラダの使用方法を事細かに研究するのはマニアなんだろう。
自分の体の使い方を変える必要性は感じないね。


というような感じですよね。



というのが多くの一般の方々に共通する潜在意識の声だろう。


誰もが体を使ってきたキャリアは生まれてから今まで。
誰もが自分の体を利用してきたエキスパートですよね。
そのような信念ができあがっているのは当然です。
だってその信念がなければ常に不安がりながら生きることになる。
そんな精神を不安定にするような意識は極力避けるのが脳の仕組みですし。



だから昔ですが私もフェルデンクライス・メソッドの本で
サトル・ムーブメントをおこなうときに強い抵抗を感じた。


「なんでことさらにこんなことをしないといけないの?」


という疑問。
なにをやっているのかがさっぱりつかめない空虚感のなか
退屈と義務感との間をさまよいました。


だが幸いお客様に体の使い方の最低限は理解してほしいという気持ちが勝り
投げ出すことなく少しずつ研究していく。
次第に奥深さに魅了され、
非常に莫大な利がそこにあることに気づいた。
そうなるともっと自分はそこから学ぶべきことがあると思えるようになる。


つまり私の体のサトル・ムーブメントについての取り組み姿勢は、
B子さん意識からいやいやでも学び続けてA子さん意識に至り、
ようやく入門編までたどりつけたということです。


だがB子さん意識から脱皮する執念がどれほどのものかを体験した私は
多くの方がサトル・ムーブメントでカラダの力みや緊張を取ることには
関心をもてないだろうと感じた。


だからなにがいいか悪いかとか体感ではわからないけど、
ひとまず首を突っ込むことも大切なんでしょうね。


そのときにA子さん意識かB子さん意識か、
どちらに自分の考えが位置するかを考える。
すると私みたいに遠回りをしないですみますからね。^^;



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【参考ホームページ】L.ロン ハバードによる勉強の技術:
効果的な学習と教育
http://hubbardstudytech.scientology.jp/index.htm
(「3つの勉強の障害について学ぶ– アニメーション – 」が秀逸!)