体の話とは関係ないですが、光と闇の考え方

宇宙空間をみると99%が光のない闇がある。
そしてわずか1%を満たない空間に光がある。


ほぼ闇の世界で占められているといえよう。


<<陰陽>>は、
陰(=闇)から陽(=光)が生じる。
よう感じる。


それゆえ僕は<<陰>>をはじめに意識しているようだ。


光は大切だし景気がいい感じもする。
光り輝く神々しい存在という言葉もある。


だが闇は忌み嫌うものというイメージをもつ人もいるだろう。


僕の家の近所の小山八幡には大黒天が祭られている。
大黒天はインド伝来の神様でもとは大変恐ろしい形相だった。
まさに大黒天の大黒とは暗黒を象徴していた。
途中で仏教に帰依して守り神に転じたため、
七福神のひとりの福の神として祭られている。
お顔も福福しく打ち出の小槌を持ち米俵に乗り福袋を持つ豊穣の神様。


僕には大黒天が宇宙空間の99%の闇を象徴し、
そこが母体となり万物が創生されたと想像してみたりする。


宇宙空間は真空ではない。
実際に宇宙空間で調べれば様々なガスが満ちている豊穣な空間だ。

宇宙空間の暗闇に漂うガスからすべてが創生された。
太陽も地球も月も私たちの肉体も。。。。。


そう意識したとき、
闇より出でた光の存在が鮮烈に感じられた。
光と闇の関係やバランス具合が見えてきた。


清濁を光と闇との関係で置き換えれば、
光は清で闇は濁となるのだろうか。



闇は人生真っ暗闇のようなネガティブなイメージをもたれるかもしれない。


闇には光子の飛び回り動き続ける躍動感はないかもしれない。
だが僕には闇が万物の母なる存在であり、
光は闇から産み落とされた子供のように思える。
そう考えれば闇にネガティブなイメージはない。


で、なんでこんなことをことさらに書いたかというと、
光と闇のバランス関係が陰と陽のバランスに通じると思う。
光ばかりを見ようとしては疲れてしまう。
ときには母なる闇に包まれたと想像し、
その闇から光が生まれた瞬間を喜ぶ。


そんなイメージで瞑想をしてみると、
地に足がついた感じが強まるように思えてならない。


僕はこのように考えたとき、
地球の光の存在だけでなく広大な宇宙の闇を体感した。
世界に広がりを感じられて愉快でした。