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悪を正して、善に導くべき、と説く者もいる
だがそれもまた、うたかたの熱意にすぎぬ
勝った負けたも、個と自我の実在を信じ込ませる罠にすぎぬ
わしはただ俗塵を離れた心でいたい
青い空に白い月
風が澄んだ空気を運んでくる
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一休禅師の詩です。
『狂雲集』より。
私はこの詩を読み肩の荷がおりました。
競争化社会。
勝つか負けるか。
負けると明日がないと緊張を迫られるようです。
負けたくない。
勝ったとしても負けたとしても、
心は鎮まらず動揺が収まらない。
学校教育でも競争原理が取り入れている。
学校ではまずテストの点で他と競わされる。
社会とは競争して優劣がつくものだと教えられる。
そして体内のアドレナリンが過剰に出続けてしまう。
恒常的にアドレナリンが出ることに耐えられるように
人体は造られていないようです。
それにより身体にも問題が出てくることがあるようです。
一休禅師は南北朝時代の戦乱がおさまるころに生を受けました。
北朝が勝ち南朝の残党が肩身を狭くする時代です。
一休禅師は南朝の天皇の血を引いていた。
その身は常に監視をされていたでしょう。
南朝方の旗頭にされてないように。
生い立ちが複雑で身の危険がいつ迫るともわからない。
そのような人生の中で読んだ詩です。
ですがその人生背景に縛られない
一休禅師の人柄がよく出ています。
自然と一体となる。
そこに禅道を観る。
一休禅師のような強烈な個性を持つ傑出した人物が世に出てくれればな。
とは思うのですが、
そういう人こそひっそりと身を潜めて幸せに生を堪能していそうですね。
生き方の考えが一休禅師よりになれば、
自分の身体の硬さの半分は消えるかもしれない。
そう思えてなりません。