『無知と自負は兄弟である』

『無知と自負は兄弟である』

『無知と自負は兄弟である』という言葉がタルムードにある。


自負すれば無知に陥った証拠となるという。
かなり手厳しいことわざだが、
実に経験上いいえていると思う。


お客様からとある他の施術院に通ったとき
そちらの先生から
『うちで治せないんなら他のところへいってもムリだ』
といわれたという言葉を聴かされた。


胸が詰まるような言葉だと思います。


強い自負心からこのような言葉が発せられたのかもしれません。
ですが体がつらいときに言われた身になれば動揺を隠せません。


話がそれますが昔の中国武術が実用の戦術として使われていた時代。
太極拳以外にも数知れず多くの武術派があり百花繚乱状態でした。
ちょっと記憶があいまいなんですが
太極拳の本で私どもが知る武術はほんの一握りでしかなく、
世の中には私よりも優れた力量を備えた人物がいると思います、
というような語り口で「拳意述真」という本が孫式太極拳の創始孫禄堂により
書かれていたと思います。
(記憶違いだったら申し訳ない--;)
孫禄堂は知る人ぞ知る武術家としての実力も伝説のように語られる人物。
押しも押されぬ中国武術での第一人者です。
自分はすごいんだぞと自負しても周りのものはあんたはすごいと認める。
その孫氏が自分以上の使い手が当然いるだろうという語り口から始まる。
思慮深さがにじみ出ています。


当時の百花繚乱の派があり、
実際に知られない傑物もいたはずです。


ただまだ会っていないからそのものについて語りようがない。
だから語れないと断っておくのです。


『うちで治せないんなら他のところへいってもムリだ』という言葉には
まだ会ったこともない他の先生方のことをよく知りもせずに
自分よりも技術が劣るといっているのです。
強烈な自負心が無知を隠してしまうケース。


そう思えてなりません。


人間は常に成長して、
化けていく生き物です。
それゆえ会ったことのある自分よりも技術がないと思えた人物でさえも
いつしか突出して技の成長をかなえているかもしれませんから。


自分も思い上がればいつの間にかこのような大風呂敷のようなことを
言い出しかねません。
そんなことをいわない孫禄堂のごとき品格が磨かれるまでは、
『無知と自負は兄弟である』と自分を戒めること。


それが大切な心得と思います。