施術者として不安に感じることは多くあるものです。
そのぬぐえないもののひとつ。
それは
『私どものところへお通いいただけるお客様が、
自分よりももっと技術力ある施術者のところへ通っていただいていれば、
もっと幸せになれたはずだ』ということ。
私なりには日々努力しカタツムリの歩みほどの進歩をしていると思います。
ですが常にこのような真理を含んだ思いは消えないものです。
「真理を含んだ」というのは、
世の中には私の技量をしのぐ諸先生方が間違いなくおられます。
昨日の私より今日の私が行う施術のほう改良されているときに実感する。
過去の技量が今よりも遥かに劣るようにみえることがあります。
だから今ならあのときのお客様の状態に対応できたはずなのに
あのときはできなかった。
そのような念が蓄積している。
今もっている技術という『道具』を使い対応するしかない。
『道具』のことを知れば知るほど、
その利点と欠点が見えてきます。
欠点があれば他の道具で補完が必要です。
または人体をより深く把握できるようになれば、
新たなアプローチをするための道具が必要です。
多くのお客様に接すると、
これがこのお客様に対応できる最後だということも体験することがあります。
それは私が施術を始めてまだあまり間がないときでした。
女性のお客様なのですが、
とても体がやせておられ、
虚弱性は呼吸器や生殖器、
そして冷たい手足には循環器の問題も感じざるを得ませんでした。
そのとき私が持てるすべての施術の技術を使いました。
お客様は私が必死に汗を流しながらの姿によくがんばっていると
感じてくれたそうです。
お客様は東京の大学に通われていたのですが、
卒業と同時に郷里に戻り就職をなさる。
上品で育ちのよい方でした。
そのお客様が5回目の最後の施術を終了するとき、
大変にありがたい言葉をかけてくれました。
そのときの言葉に対してがんばってよかったと思う反面、
もっと自分が精進していたのなら、
という思いがこみ上げてきました。
それは自戒の気持ちです。
でも今できることは
1回ごとの施術が大切で、
力を惜しまないことだけ。
それが施術をする私のできることです。
その思いは、
極々個人的な感情からくるものであり、
今の私の施術に取り組む姿勢なのです。