「あなたはとてもラッキーだと思います」

今日、施術をしていて、
体調が改善なされていくお客様に向かって、
「あなたはとてもラッキーだと思います」
という言葉を、2〜3度かけていました。


一度ならずもというところが、
しつこく感じられたかもしれません。



今考えれば、その言葉を申し上げたとき、
私の脳裏にどのような思いがあったのか。
説明不足でした。



私は、自分の腕を自慢したいのではありません。




どのようなことでたったのかといえば、、、。


12年前にボディワイズへお通いいただいておられた男性のお客様の顔が浮かんでいました。


体型的に、体が大きく身体的な固まり方は並ではない。
50件以上、施術院を巡ったが思わしくない。
それでネットでボディワイズを見つけられて。


私の当時の施術は、
施術グッズを使うのも消極的。
手足を巧みに使って対応しようとしていたが、
結果的にその男性には太刀打ちできなかった。



私もそのお客様へのあまりのがんばりで、
それで半年間、体を壊して働けなくなる。
私は必死になりすぎて自滅してしまった。


無理をしてはいけないのはわかります。
ただどうにか自分の手でと思い願った。
それがお客様を治すどころか、
自分を壊しただけの結果です。



まったくもって、
ピエロのようなものです。


誰も、幸せにはならない。



悲しすぎることですから、
今は、昔より自重しようと考えます。




普段、私は、冷静でいることが多いが、
自分の身を守りたい気持ちが多ければ、
取り立てての才能はない自分には
先がないことはわかっていました。


だからときにはギリギリのところまで、
努めていかなければ結果がないのです。



「あなたはとてもラッキーだと思います」
と施術中に告げたお客様は、
はるかに状態や条件は私が見通せば複雑です。
施術成果を順調に上向くよう方向づけること。
それ自体、至難の業だといえるような状況でもある。


ひとつ、言えるのは、
もしも私が12年前のレベルで足踏みをしていたら。
目の前のお客様は、解けなかっただろうと思います。


それは、私自身だからわかることです。



今は12年前にお越しいただいた方に、
私から連絡をとることはしていません。


「営業色が薄い」ボディワイズです。
それが、いいのか、悪いのかわかりませんが、
それゆえに、後悔の念が残ることもあります。


私のなかでは、
5回以上の施術をさせていただいた方の身体状況は、
絵に書けるほどイメージで思い出せてしまいますし、
気になり続けています。


当時の私には治せなかったなら、
他の施術院で治っていてほしい。


私は他の先生が直してくれても私が対応させていただいても、
そのお客様が改善したならば、別け隔てなく「よかった」と。
そう感じられる度量の広さだけは、昔からあります。


ただ改善なさったという報告がなければ、心底は安堵できません。。。


そこで今日、
施術をさせていただいていて、
今日お越しいただいたお客様のはじめての施術日のときにチェックした状態と、
現状の差をつぶさに観ていて。


12年前の、他のお客様と若干ですが似ていたところもあり、
当時のそのお客様のつらそうだった顔が脳裏を過ぎりました。


12年前にお見えになられたお客様は、
職を失い、家族も失い、、、。
若いときに無理をしすぎたつけが、
こうなって出てしまうとはという
強い後悔から抜けだせないでおられました。
そう、しきりに私に繰り返し語り続けていました。 


そんな窮状を知っていても、施術対応力なければ、
自分の身をつぶして見せることで努力は一応したんですが、
それで許してください程度の事しかいえないものなのです。


実に、悔しいですね。



私の施術は、ここ数年。
ゼロプロマッサーや、ブロック利用、そしてとある武道だったり、
それらのおかげで技量が数十倍に成果率は伸びたと思っています。
少なくとも人体の奥にあるものの見通せる視野は確実に広がった。



その施術技量の増加分があったため、
それで今日、お見えになられたお客様には良くなった時の先へと、
「自分の体のイメージをすげ替えていきましょう」と言えました。



体調が悪い状態が継続し過ぎると、
脳内のボディマッピングでは体調が悪い状態が通常だと感じる。
繰り返したことを神経が学習をして脳が覚え再現しようとする。
そのような特性が細部にまではまり込む。


精神的にも肉体的にもつらかったときと別れを告げられるよう
ことさらに描き直さないと足をすくわれるから気をつけようと。


蛇足ですが、
横隔膜の動きが極端に悪化している場合には、
感情面の抑圧をしすぎる傾向が長きに続いてきたことが多くある。
袋小路のようなつらい体の状態を直視するのは気分が滅入ります。


そこを見ないように感じないようにする手立てが、
横隔膜の動きを制限させて呼吸代謝を悪くさせる。
そんな感受性を鈍らせる手っ取り早い手段を採用します。
そうしたときは、後先なんて考えずに採用しますもので。
多くは強烈な感情を伴った筋肉操作の抑止は、
問題が解決したあとにも悪影響が継続的に続くことが多くて。
よほど優れた観察力や洞察力がなければ一生ものとして背負い続けるでしょう。


呼吸を制限されては豊かな喜びの感情をも劣化し、
屈託なく楽しめないこともでてきてしまうのです。
そんなのって、嫌ですよね。


今日のお客様の体を隅々まで読めば、
すでに、そんな身体状況を脱しつつあります。


ならば!


多年に患った横隔膜の作動の制限をさせる悪癖は
すでにそうせねばならない必要性をなくしている。
でも、人間は恐怖や不安から目を背けたい感情は、
相当に根深く、自分の身を呪縛させてしまってる。


そんな2つの事象の事実を正確に把握したうえで、
今後はどのように横隔膜を機能させていくべきか。


冷静にみつめ、働きを鈍らせて固まった横隔膜やその周囲の部分を、
ほんのわずか数ミリ程度でいいから動かす努力をしてもらいたくて。


そのような考えや意味合いで、
自分から横隔膜を動かす工夫をしてくださいとお願いしました。


そんな下地を作っていただけるならば、
今後予定している施術で下肋部リリースをする際、
お客様が気を失うほど苦しまなくともすむようになるはずです。
今、ここを無理やり肋骨下を強く押しすぎるというのは危険で、
同時に、新たなトラウマを施術中に創りだす結果になりますし。
感情をともないすぎた筋膜の癒着部分のアプローチは、厳しい。
解かせないようすごい痛みをともなわせて、
癒着したままでいようと抵抗なさります。 


そのように潜在意識にねりこまれた不安感情が残っていれば、
早々に、再度、癒着をさせて落ち着こうとするものですから。


そうならないように、
お客様ご自身も自己観察をしてもらい、
気づいた原因から仮説を導き検証する。
そんなことをしていただければ、
施術後も自分で自分の体を見つめて情報を集める力を養えます。


このお客様ならば、お願いすれば、
期待以上のものを返してくれるでしょう。
どう、自分の体をチェックなさるかの結果が楽しみです。 ^-^





ここで、ようやく脱線から、話が戻ります。


そんなことを、今日お見えになられたお客様と話ができるのも、「今」、だからです。




もっと軽かった男性の施術もままならなかったわけでしたから。
12年前の私の施術技量では、120%対応外のレベルですし。
そこで涙を飲んだことを、私も覚えています。


私が当時、施術をさせていただいたお客様が、
私が体を壊したことを知り「俺が、あんたを壊したようだな。ごめん」といわれ、それも、つらかった。



そんな挫折を味わい続けることが、
施術技術の探求につながりました。



それゆえに、今日、施術をお受けいただいたお客様に出た言葉は、
私には12年前の他のお客様の顔が浮かんでいて、
希望の言葉をかけてあげられなくてすまなかったなという念を伴った


「あなたはとてもラッキーだと思います・・・」


だったんです。



複雑な感情が巡り巡っているとき。
説明する言葉はざるのように流れ、
言葉少なになるものですね。




一回ごとの施術で、幾分かでも、必ず結果を残すことにこだわり続けたいと思います。
前向きに前進するために、幾度ともなく後悔をして明日にそれを乗り越えるしかない。


どんなに施術者が必死に身を粉にして働こうとも、
技術力が伴わなければ対処することはできません。


それを当たり前といえばその通り。
だが、その底辺に流れる気持ちは
どうしようもない無情な感情です。



結果の置き所は施術者ごとに違ってきて当然です。


ただ私が求めたい結果は、そこに帰着するのです。
あまり何かに執着したり悔しがらないほうですが、
そこだけは強く感情が入ってしまうようなのです。



すべては反省から課題を得ていく。


そして研究は深められ、
その成果が今のお客様に反映する。