「どうあるべき」かを、問い続けたい


「人生をどう生きるか」を希求して何かをせねばならないと、
切羽詰まった気持ちが、心の根底にあり続ける自分がいます。


そのように自問自答する上で、
年々、私の友人との話の中で、
人生の折り返し地点を過ぎた今、
何をすべきかを問うていくべき。


そのような話し合いをすることが多くなりました。



私には、この年になってまで、長年注力した「施術」。


願わくば、多くの人に受け入れられるようになりたい。
別に、それで収入をあげたいという話ではありません。
人は、生まれてきたときには



『そのためにはどういう手段があるのか。』


それを、まず、見極めなければならない。
それの青写真が見えて設計図が描かれる。
それが荒唐無稽なものであったとしても、
なんとなく自分にしっくりくるところが。


それじゃ、ぜひ、それを行動に移したい。



では、今の自分を振り返ってみると。
自分の性格上も行動力の点について。


『そのように、果たして自分でできるか?』




自分がやりたいことはイメージ出来ます。


そして広められたときに、
幾ばくかのしあわせを感じる人も増えるはず。


そう期待しているものの、
実行可能状態にまで自分を変える自信がない。
そこでの戦いでくすぶり続けるのです。


日々の仕事を進めるだけでも、
体力を根こそぎもってかれる。
かなりハードな施術ですから。


ただそういった気持ちの裏側には、
「体が疲れても、わずかな前進は可能だ」と知っています。


つまり「何をすべき」かということはわかるのですが、
どうしても自分の身が呪縛されたかのように動けない。



施術の課題研究にしか頭にない施術バカの私です。


結局は自分の望みをかなえる行動力もなくて、
そのまま日々の生活を淡々と過ごしつづける。


自分の望む想定の、大幅減のことしかできず、
それに落胆し続ける自分が悲しんでいる。



ですがそれが本来のふさわしい自分かもしれない。



そのようなヘタレっぷりが著しい、
悩みの縁を歩き続けておりました。


そのようなときに、
人生の師と言わせていただきたい、
とある70代の男性から、2時間もの時間をかけて、
私の考えの根底を揺さぶる強烈な印象を与えていただきました。



先日、桜の咲く時期です。


私は、とある70代の男性とお会いいたしました。
自他の心を遠大に賞賛する気持ちのある御仁です。




今となっては、、、ですが、
音声テープばかりではなく、
映像で残して繰り返し学びたかった。。。




そのような方から、
私に対して次のような内容のメールを書いていただけました。


できればブログをお読みいただいている方々とシェアしたく、
一部、転載許可を得て転載させていただきました。


お時間がございますときに、
ぜひ、お読みいただけましたら幸いです。




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人生まだ50歳の若さだとこれからの残す人生でもっとやるべき課題や目標(what to
do)で頭がいっぱいになってしまう気持ちは自然であり普通であり真面目な証拠であ
りその気持ちは当然と思います。 
でも人間は何も特別の事をやらなくても生きているだけ、存在しているだけ(to be)
で十分価値があることに年を取り死が身近になってくると気がつきます。 悟りま
す。 自分や友人知人や政界財界文化人達のそれぞれ歩んできた平凡乃至は波瀾の人
生を振り返るとそれをしみじみと実感します。


人間のやることなぞたかが知れている。 歴史に残る偉大なことをやろうが事業に成
功し何千億円残そうが、そんなことは本質的には50万年の人類の歴史の於いてはゼロ
に等しい、どうでもよいことです。1万年後には誰も覚えていません。
ましてや50億年の地球の歴史における人類の歴史50万年に於いては、一個人の人生な
ぞ蚊の命同様「どう生きても大同小異」です。 若い元気な内はそれぞれ目標や課題
に向かって切磋琢磨しますが「何をすべき」(what to do)より根本的でもっと大切
なことは「どうあるべき」=「どう生きるか」(how to be)です。
どう生きるかは他人に関係ない「自分の心の中だけ」の問題です。
自分の「心が宇宙」です。 広く悠久で無限で喜びに満ちた世界になるかどうかは自
分の考え方ひとつだからです。 これは天は万人に等しく公平に与えてくれていま
す。 あとはそれを自覚して自分がどう使って自分の宇宙、他人のまねでない「自分
の宇宙=自分自身の人生」を造るかです。
「色即是空・空即是色」とは何事も実態なぞはなく心ひとつで目の前の万物は、色と
りどりの綺麗なお花畠にもなり無味乾燥の荒野にもなります。自分の思う心の色が映
し出される。 実に天・神は万人を平等にしてくれています。貧富の差は実際はない
のです。自分の心が差を感じさせるだけです。
今の私の場合は、クロを手本に人生の基本に帰るこを教わっています。


地球の歴史50億年を1年365日に換算すると人類の誕生50万年前はたった12月31日
11:50pmであり、人類歴史50万年を365日だとするとコペルニクスの地動説でもたった
12月31日11:45pmのことです。如何に人間の歴史は浅く人間知能・知恵はまだまだ猫
犬同様でありETやUFO基準では原始人レベルの下等生物だということです。だから人
間はET並みの高等生物だと勘違いせず、難しいことを考えず野良猫に負けない謙虚で
質素な単純な生き方に学ぶべきです。
雨風避ける家もなくても朝が迎えられ太陽の暖かさと運良く一日一食の僅かな餌にあ
りつければ嬉しくて喉をゴロゴロ鳴らし道路に仰向けで寝ころび猫同士でじゃれあっ
て明日の事を考えず今を一日を楽しく愉快に送るクロちゃんは私にとり「明日の事よ
り今を生きる」という「人生の基本」を教えてくれる大先生です。クロの心自由は並
みの人間のはるか上を行っています。
50億年の地球の365日カレンダーでは人生100年は0.5秒の超瞬間。短い蚊の命に負け
ない人生を送るならこの0.5秒瞬間を「生きてることに感謝し」「楽しく愉快に」生
きる以外に正解はありません。
その基本の上での「what to do」です。若くて元気な内は「how to be」と「what to
do」の順番が逆になりがちです。 




・----------------------- △ ここまで △ ---------------------・


私は、この考え方に今までにない居心地の良さを感じました。



それだけではありません。



事の大小のスケール感も、さほど気にならなくなりました。


それは実際に2時間もの間、
人を育てようという強い意志を感じる言葉を聴き続けたから。


それを受け取り、それからメールで語っていただいて。。。
この方が、どれだけメールを打つことが、大変な作業なのか。
それを知っているだけに、私には読ませて頂く際の重みが違っているのです。


『存在しているだけ(to be)で十分価値があること』


の言葉の重みをかみしめながら、
無邪気に日々の暮らしを楽しみたい。


私の内側にある存在感があふれてでてきたときにだけ、
自分が思い描くような未来も何もかも叶うものかもしれません。




「どのようにすべきか」という考えに流され自分を忙殺せず。
自分の在りようを、
透徹した目で見つめ、
自分の素性が目を覚ましたとき。


そんな願いのかなえ方が自分にふさわしいと思える次第です。







このような生き方に導いて頂き
U様、ありがとうございました。
感謝いたしております m__m