先程、施術をしているともだちから電話をいただきました。
私と同様な視点で悩みを持っておられ、
鏡を見るようなところも多くあります。
私はコーチング関係の講座を受けるようになり、
彼は彼で私とは違うところでの講座を受けている。
その面での話も共通語として交わせるというのも、
両者の向きが同じ方向を向いて進んでいるということでしょう。
ひとまず、私がコーチング関係の話を聞かされたときに、
置いてけぼりにならなくて済んでいる状況はありがたい。
ただ、私との違いがあります。
私以上に、様々な方面へ足を運ばれて、
体験から、ものごとの本質をとらえようと努力なさっている点です。
話を聞くに連れ、
「偉いよなぁ」と関心し、
私も新たなものへと繋がる足がかりを求めて、
本からばかりではなく、
体験から得られることを大切にしていこうと。
そう、他の方からも指導していただいていて、
しっかりしていこうと考えるところです。
そして彼に何が一番大事に思いますか?
と質問をした時。
「愛と時間」という答えがでてきた。
なにか、前置きがあったほうがわかりやすいものだ。
ですが、コーチング話法のような「それって?」と、
あまりしつこく聞くのも嫌がられそうなきがします。
そこで、詮索をするような突っ込みはやめておいた。
とりあえず宇宙的な何か謎めいたことを考えてみる。
そのように憶測しておこうと了解をさせてもらった。
ただしばらく話をして電話を切るちょっと前に、その回答を聞くことができた。
彼がいうには、
「施術をしていて、お客様と自分との垣根が消える瞬間を向かえられる。」
それが【愛】だ。
「そして、そのときには時間の感覚がなくなるんだよ」
それが【時間】だ。
そこで彼が大事だという「愛と時間」の正体がつかむことができた。
やっぱり、施術家だな、彼は。。。
あまり詳しいことはいえませんが、
施術をするひとときの充実感から
まじめにがんばっりすぎることで
いつしか自分の体が、へとへとに。
そのような苦境に立っているにもかかわらず、
施術に対して正面切って取り組み続けたいのだ。
そう、感じられてさわやかだった。
ただ同時に、
私はずっとある方から
「自分の身を大切にしてくださいね。
そして家族を悲しませるようなことをしないようにしてください」
と、幾度も噛んで含めるように繰り返しつたえていただいていた。
とてもありがたい言葉で、
その真意を深く汲みとろう。
私自身、施術の功を焦り、
ムリを押して道理が引っ込むようなこともしがちです。
ときには人生の目的を手に入れるためには必要な努力。
ですが、それも行き過ぎればムチャとなり、
余裕や余力が尽きれば正常な知恵が運ばなくもなる。
それに、そのような自分の姿を見せることで、
悲しむ人もいる。
自分かの目線から一歩引いてみて、
自分を俯瞰してみたときに言われていることがわかった気がした。
だからいつも多少のムリを通して施術をしようとする私ですけど。
私がいうのは実に説得力に欠けたことなのですが。。。 ^-^;;;
「自分の身を、まずは愛してくださいね。
そこを徹底して真剣に捉え直したときに、
他者へ繋がる愛と呼ぶ形も変化してくるでしょうから。
どうしても、自分が自分の身をいつくしまないでいて、
どうやって、お客様の体を大切に思っていると伝わる?」
というような、ことだったか、、、を口から出てきました。
私は、神社仏閣にも神様がいると思います。
同時に、小さな私の目の前においてあるカップにも神と呼べるものを感じます。
それはインドの聖人といわれるラーマクリシュナという人が、
ヴィヴェーカーナンダという人に語った言葉でもありますが。
すべてのもののなかに崇高な神を見出す。
そして真っ先に見つけなければならない神の所在は、
自分自身の内側にいる神を見つけよ、といいました。
その自分の内側に居る神を見いだせないものが外に神を見つけることはできないだろう。
私も、そちらの本を数冊読み込んでいくにしたがい、
自分の内側の神に出会い不動の意志を耳にすること。
そこに内在する神様からの創造が唯一絶対だろう。
他の外界からの横槍に気を取られてばかりいてはならない。
私は、そう考えています。
そこを確固として自信を持って人生を作り得た後に、
愛について語ろうとしたほうが内容の質が深まると。
そのようなことが、ふと、脳裏に浮かびました。
そこで彼が意図した『愛』という言葉とは違うことだがと前置きをして、
自分の身を大事にしていく自愛をもった気持ちを大事にした姿勢を持ち、
そのうえでお客様とのつながりを感じたほうがいいのではないだろうか?
そう思って自分の体を自愛してくださいねと伝えさせていただきました。
自分を自愛し大切にする気持ちが満ち満ちていて、
そのような気持ちが溢れだしてお客様まで届けられるように。
それこそが施術をするものに対して、
深い信頼を与えることになります。
腰痛がひどくてという状態の先生が、
腰痛を直しますといわれたとしても、
説得力に欠けてしまうことでしょう。
自分の身を良い状態に導くこともできないのだから、
そんなところで買い物をすることはできないだろう。
そんな気持ちになってしまうのもしかたありません。
施術者としては、
身を粉にするまで仕事をして尽くすつもりでしたが、
その状態が誤解を生むのであれば、
戦略的に仕事が成り立たなくなる。
そうだと思わなければなりません。
そんな印象も含まれてきますよね。
私にずっと体を大事にしてくださいねとおっしゃっていただけた方の言葉が、
私のともだちの施術家にも、
伝わっていくこととなれば。
ほんの少しだけでもいいので。。。
そのようになれば、
うれしいことです。
おそらく私のともだちは、
ざっくりといえば、
日本の施術文化を変えたいと願っているのでしょう。
だから、がんばっているんだという言葉が、
彼の行動の端々から伝え聞こえてくるのです。
施術のある生活のすばらしさを伝え、
楽しく施術に関わるライフスタイルを送りたい。
プロの施術が教えてくれるよな施術の教室を執り行いたい。
施術から生まれる、しあわせを伝えたい。
そう考えているのでしょう。
よい志です。 ^-^
ただ志が大きすぎて自分の身にはそこまではできないと思えたならばどうでしょうか。
すると思考が行動へと落とし込めなくなるため、
強く足で踏み込んだブレーキペダルを離せない。
それがアクセルを踏みながら、同時にブレーキペダルも踏み込んでいるという、
メカがきな臭く焼き切れてしまい故障へとつながるよくない運転だと思います。
それでは努力が思ったほど、報われていかない。
報われない現状をみれば焦りがつのりましょう。
・・・これ、つらいんですよね。。。
私も、そんなことばかりですから。
ですが最近、
私はちょっとした解決策を実践中です。
そんなときは私が教わってきたコーチングのやりかたでは、
まずは本当にそれを自分がしたいのかということを、
臨場感持ったヴィジョンを描きだして実感を持つことから。
そしてそうなったときにどう感じたかを、言葉で述べてもらうと、
「それ、違うな」か「それ、いいね。さらに、やってみたくなったよ」となるか。
そのような行き先のゴールを描いて、ゴール地点にまずは立ってみて感じてみる。
そしてゴールから今の状態を俯瞰して見つめていくことで、
ゴールへの最短距離となる道を見つけ出そうと挑戦します。
もしともだちなりにそのような臨場感を得てみたとすれば、
その見える化したものから、
その後の自分の道をどう切り開くものでしょう。
興味、あります。
がんばってもらいたいです。 ^-^
余談ですが、、、。
彼のような施術をする人もそうですが、
忙しく身を粉にするまで働いておられる方々。
状況によっては自分の心身が厳しいこともあるでしょう。
そのような中では難しいことも多々あるとお察しいたします。
ただ、少しだけまわり道になることもあるかもしれませんが、
ムリを押しすぎてムチャになるギリギリのところでは、
なにを差し置いてでも自分の身を守ってくださいね。
場合によっては緊急避難をする判断は必要でしょう。
最後の最後は逃げてでも身を守るというセーフティーネット的な考えを徹底するのも大事ですから。
体を壊し過ぎないように、私も気をつけてまいりますので、
みなさまも、どうかご自愛いただきながら頑張りましょう。 ^-^