楽しい夢見へ変わるのも、勉強成果の後のご褒美かと思います

個人的な話で、申し訳ありません。


せんだって、友人と話をしたとき。

「昨日は、最近になってはじめてたのしい夢がみれたんだよ・・・」
と私がいいました。

「えっ?なにか変な夢ばかり見ているの?」
と友人がいうと、


「ずっと苦しい夢をみていたんだ・・・」


その夢の内容は口にするのがつらかったので、
その場で友人には伝えることはできませんでした。

 

たとえば、ひとつの夢として母が他界したあとに、
はじめて夢に母がでてきたときのこと。


電車で、共に父の墓参りにでかけたシーンでした。
電車の中では私と母は、
話すこともなく無言のまま時が流れます。
ただ私はひさびさの母との小旅行でもあり喜んでいる様子です。

目的の駅について降り立ったときのこと。

母は、いつものように元気に先へと歩き出します。


すると、そのとき。
イメージで言えば山口智子さんに似た女性がいきなり金切り声で叫びます。

「だめ!どうしてあなたはお母さんをここに連れてきたの!!」

直感的にこの女性は、特別な知恵を持つものだと感じられました。

占い師か、それとも、母の現状を見抜ける先生なのか?
ただなにかを知っている人だというのはわかりました。

その女性の迫力ある声に私は驚いて、
私は母に顔を向け声をかけようとすると、、、

いきなり母が苦しそうにうつむき吐瀉する姿をみつけたのです。

その瞬間、私の胸が張り裂けるほど苦しみを覚え、
そこで目が覚めます。

 


そのような夢でした。


同様な夢を、幾度か見ました。

 


そのような夢をみる私に自問自答すると。

母の身体の現状を把握できていなかった、
そのくやしさをかみ締めなさいというメッセージが聞こえてくるようです。


施術でがんばれたかどうか以上の問題として
母の身体の徴候を、取り返しのつかなくなる前に見つけてあげられなかった。
その無知さから「自分って、ダメだ」という無力感からの夢でもありました。

その気持ちに押しつぶされそうにもなるのですが、
反面、母が成した闘病中の生きる姿勢から学べば、
そこから逃げることなく反省すべきところを素直に認めよう。
今から改めて花を咲かせようと思えもしてきました。

 

私はお客様の中には、
お体の状況としてつらいかたもおられることを重々わかっています。
そのようなお客様をひとりひとり思い起こします。
休業を続けるという選択に、申し訳なさを感じ続けています。

ただ、今の自分を改めることないままでは、
どうしても納得ができないのです。

大事な反省点を省みることなくとにかく開業というのでは、
前向きな気持ちに至り施術再開はできません。

また別のシーンで同じ轍を踏むことがあれば、
そのときは母になんと言えばいいのでしょう?

どうしても、そう、考えてしまうのです。


私の見る夢が、私の気持ちを素直に表せているのでしょう。
自分を変える勇気を、この機会に持てなければと思いました。


そのための新たな学びに私が選択したものが「中医学診断法」でした。


中医学基礎理論を学ぶ過程で、
母の働きすぎや母の心への負担などを指摘をいれる必要があったということを再認しました。

中医学による人体構造をわかりやすく話すことができれば、
説明するときの説得力が中医学を学ぶことで増していくものです。
そこからは明るい希望も含めて話すこともできるのです。

 

ただ実際、私は現状では中医学の見立ての実力的にはまだひどく未熟です。
それに同時に私がかかわることができるお客様の人数は多くはおられません。


中医学診断法」の基礎部分でも身につけておられる人が、
一家に一人いてくれるようになることが理想なんだろうと。
いまは、そのようなことを思えるようになってきました。

数年後にはそのようになれるような一助をできるようならば、いいのだが。

そのような気持ちになって、落ち着きを取り戻せてきています。

 

そしてセルフコーチングをして想像上の母の声を聞くとすると。

母が今の私の隣にいて言葉をかけてくれるとすれば、どんなことをいうだろうか、、、。

おそらくは次のようなことを言うように感じます。

「あなたに病気が見つけられなかったことは怒ってもないし、うらんでもいない。
 だれかのせいでじゃないから、気にしないで」
そして、、、
「お客様が、施術を必要としていただいているなら、早く仕事を再開しなさい。
 そうしてくれたほうがお母さんは安心できるのよ!」といってくれると思います。

そのような母の心の声が聞こえてきます。


中医学の勉強をすることで、過去の母におこなうべきアドバイス等が見えてきたので。
苦しい夢以外の夢を、少しずつ見ることができるようになってきたのでしょう。

 

もしかすると、施術をするものは、多くの先生方々が私と同様なことを感じたことがあるかもしれません。