散文的ですいません。 ボウエンテクニックの身体改善イメージをメンタルメンテナンスが得意なセッションという印象に変えていきたく努めています。

本日はお墓参りの予定が、コロナ禍の影響から、
自宅で書籍のPDF化作業をしながらTverを観ています。


私が好きな仲村トオル主演のドラマ。
八月は夜のバッティングセンターで。

毎回、仲村トオルさんから心に刺さる言葉が送られます。
そのなかでも、私が一番うなった回は以下の、、、。

『三回 千本ノック』です。(Tverの該当ページは以下に 8月22日(月)23:59 終了予定
https://tver.jp/episodes/epzottzhdj




たとえば、
「バッティングも料理もおんなじだよ。専門家から教えてもらって何度も練習をするのが一番だ。」

確かに、その通りなんです。
共感します。



個人的なつたない体験ですが。。。
昔、こどもの小学生のころ、少年野球にはいったとき。
監督やコーチなどは、手取り足取り教えてくれる余裕はない。
運動オンチの私は、はしっこでうろちょろしているだけ、助けてもらうこともできない。
見るからにひ弱で、鍛えようにも故障させないようにするのがいいだろうと監督は思ったのかもしれません。

そこで、考えました。

じゃ、自転車に乗って巨人軍の多摩川グラウンドに見学に行こう。

かつて昭和30年代 - 昭和50年代にかけて読売ジャイアンツ
ファーム(二軍)の本拠地球場及び練習場としていた巨人軍多摩川グラウンドがあったのです。
当時、私は小林 繁選手などに軟式ボールにサインをせがむ失礼な小僧でした。

巨人軍選手に教えてもらえるわけじゃないのは当たり前ですが、
遠くないところでプロ野球選手のプレーが目の当たりにできた。

当時、ボールを投げる力がなかった私は、身体をすべて使って投げるプロの練習に出くわした。
外野からキャッチャーに向けて、信じられない力強さの返球を目の当たりにしました。
その瞬間、私は身体が動作せず手の肘から先だけを振る手投げでボールをほおっていたことに気づいたのです。

それから見よう見まねでカラダを統合させてボールに体重を乗せる投げ方を練習しました。
とにかく、ボールを投げるときに握ってるボールのことは一切忘れます。
身体の一連の部位が協調的かつ全体的に作動しだして、
徐々にフォームが整えられて繰り出されたとき。
「握ったボールを放す」瞬間、いつもよりボールに威力が増したのです。
「体の伸張とねじりたたむことが必要なんだな・・」と一人うなづいて、
筋力がなかった自分でも、たやすく速い球が投げられだしました。


独りきりでボールを投げる練習をいくらしていても、
こうしたポイントを得て確信をもって練習をすることはできなかったはずです。

そんなところから、いまもそれで飯を食うプロはすごいと信じています。



そんなことを思い出しながら、
「バッティングも料理もおんなじだよ。専門家から教えてもらって何度も練習をするのが一番だ。」
というドラマの言葉に共感し「そうなんだよ~」と感動しています。



どんなに難しいことでも、
百戦錬磨のプロが目の前で手ほどきをしてくれると、
そんなことできる人がいるわけがないという思いのハードルが下がります。



ちなみに、
この言葉に便乗させてもらって、
「バッティングも料理も『整体の施術』もおんなじだよ。専門家から教えてもらって何度も練習をするのが一番だ。」

たとえば、私はボウエンテクニックという施術を日本で講習会を一年間かけて、通って学びました。
一年間毎日というわけではなく、アメリカからくる講師の都合から月にとか飛び飛びなんですが、
それまでボウエンテクニックの洋書や映像を穴のあくほど見たとしても、
ボウエンテクニックはすばらしいと米国で出版されるマッサージマガジンに賞賛されていた意味が分からなかったのです。
賞賛の文章から私利私欲のない素のままの言葉を述べたものでした。
どうしても得体のしれない秘密がそこに広がるような気がして、
気になって仕方ありませんでした。

そしてボウエンテクニックの受講を決める前のこと。
一度、ボウエンテクニックの講師のミトさんにボウエンテクニックのセッションを依頼し、
受けてみたとき。

大多数の施術技術では西洋医学的な流れで、病状を判定して原因を知り、的確に結果得るためのエビデンスに従った手技アプローチをおこないます。

だがボウエンテクニックの場合は、そのセッションを創始したトム・ボウエンは東洋医学に精通した人で、
西洋的な見地で施術の方法論のみを取り入れて組み立てたわけではなく、
東洋医学的な経絡などの知見を含め、またはそこをベースにして融合させたセッションをあみ出したのだと気づきました。

そのとき「なぜ、マッサージマガジンでボウエンテクニックのことを賞賛していたのか」わかりました。
そして賞賛する言葉が具体性に欠けていたミラクルとかファンタスティックといった言葉がちりばめられていたのかもわかりました。
それはボウエンテクニックを受けた帰り道に、私もセッション中に不思議な体験をし、感情や意識於解放がはかられたといった、
唯物論的な基礎を持つ西洋の手技療法の遺伝子から、
施されて起きたことは意図度も経験したことがなかったことが、そこの体験に広がりました。





自律神経の不調が治まりだし、根深いところにあったトラウマと、そのときの恐怖から、
起きもしない、または起きてもいないことさえも怯えの対象としておそれ続けます。

そうしたせつない感情を通り越した恐怖から身をすくめて感情を閉ざして逃げると、
そういった人間が発する特別な波動がでていくでしょう。
そうした波動に共感した者やなにかが集まりだしていき、
さらにきびしいトラウマからの恐怖が増長して幸福感が削がれていくことになります。

そうしたことで感情を壊して苦しむことが、人には多かれ少なかれあります。
そのトラウマが親や身内から与えられたものであれば、本人が気づかないうちにずっとそれを引きずるということもあるでしょう。
しあわせを思考したときには人はそれを現実化させる力があります。
ナポレオンヒルが、著書で綿密にその内容を語っています。
そして恐怖を思考したときにはひとはそれを現実化させるのです。

ボウエンテクニックをならったときには、
別段、そうしたトラウマリリースに優れていると、ことさらに解説されることはなかったと思います。
ですがNAETというアプライドキネシオロジー系の書籍の経絡について詳説する項に照らし合わせれば、
そういった、内面へのアプローチができてしまうこともわかります。

だから私の内部でくすぶっていた苦しみや憎しみの感情のうずのなかから、さっと外に出て冷静で愛あるもう一人の自分が覚醒し、
自己のメンタルをメンテナンスしてくれた。
それがおそらく私がボウエンテクニックをミトさんから受けたのは90分ほどのセッションでしたが。。。
貴重な私の内部エネルギーをどぶに捨てて自身が不幸にさいなまれるといったこころのスイッチをOFFにでき、
より人生がうまくいくようなこころのスイッチをONにしてくれた。
セッション中、ずっと不思議なビジョンを見続けていました。

神社仏閣に、その当時、お参りするのがマイブームでしたが、
それら神が導いてくれたのか?!
そう感じて、帰りに東京大神宮に参拝したことを思い出します。
私には、施術でまさかそのようなことがありありおきるのかと、
期待もしなかった速効体験は、神秘的であり、神聖さを感じたのです。




そうした体験をしたら、そのボウエンテクニックのセミナー。
セミナー料金がどんなに高くても、私には通うしか選択肢はありませんでした。
要領の悪い私がさっと身に付くわけはないとわかってましたが、
まずは専門家のミトさんにならったという経験を得て、
その後、何年もかけてそれを咀嚼して練習をしていく。


野球のバッティングも料理も、未経験すぎるときにそのやり方を本で学ぶのはむずかしい。
そして施術も、そうですよね。
やはり専門家に教えてもらってから、それから何度も何度も自分で修練を繰り返して身につけるのが一番いい。
専門家の高いレベルを教えてもらえる機会は、そうあるものじゃありませんし、
日本でボウエンテクニックを日本語で学べるなんて、超ラッキーです。
いまも、ときおり、当時のセミナーのテキストを引っ張り出し、
そこの書面に書かれているテクニックの奥を掘るようにがんばってます。



ちなみにボウエンテクニックは、東洋医学の技術や考えが創始したトム・ボウエンにはあったといいました。
彼は中医学書を穴のあくほど読み、それを自分のモノとしていく過程で得られた、中医学と西洋医学で言う臓器の概念の違いを分かって、
そのうえで経穴や経絡に独自のアプローチの方法を加味し、最晩年まで研究し進化をし続けた人だったようです。
そのような彼の伝記、かなりぶあつい洋書ですが買って読むことで、作曲家の作品を作ったときの背景を知るアナリーゼをするかのように、
彼の仕事の取り組みの流れを知ることは、私には興味が尽きないことですしヒーローものの物語を読むように楽しいときでもあります。



ただ、、、私がボウエンテクニックの講師のミトさんにセッションを受けたときのような、
メンタルメンテナンスが起きて本来の自由で束縛のないわたしを覚醒させるということは。
すぐにそういった技が使えるようになるわけではなかったです。
それをしたいなら、これからでも根性論ではなく方法論となる千本ノックを受け、
もっと施術がうまくなりたいと思えてなりません。


人は、メンタルメンテナンスが進んであなたが覚醒する(※)と、
いまそれが起きていない恐怖のトラウマにこころ苦しめられて、エネルギーを放逸して失うこともしません。
意識が変われば世界が変わる体験を通し、カルマの垢がひとつとれて、浄化して最高にたのしいときを創れる階段を登り始めます。
(※←自分をトラウマの渦中から離れた引いたところから眺められ、ありがとうと、そこからも学べるものがあったと気づいて、ネガティブな波動や感情を手放していくこと)

私にはボウエンテクニックには、またはボウエンテクニックを一部使った私の施術法には、
いつかそうしたメンタルメンテナンスが肉体に対してやさしいアプローチをすることで
引き出せるようになってみたい。


コロナ禍の影響。
このときに身に降りかかったこころの傷そして恐怖の思い。
そのような体験で得たトラウマを背負うことも、人によりあるでしょう。
心理カウンセリングにより、それを拭うということが一般的に発想されることでしょう。
身体からの対応により、それを拭うような選択肢があらわれるよう育ててうまくなりたいですね。
たやすいことではありません。
ですが大切な取り組みであろうと感じてしまいます。



そこが少しでもできたら「これ、ぼくの天職です」と、屈託ない笑顔でいえるはずです。