地球の内部には液状化した溶岩のようなマントル流があります。そのマントルにも一定の循環する経路が保たれており、つねに動き続け、決してひとところにばかり居続けるものではありません。仮に北極圏にのみ熱をもったマントル流が留まったら、地球はおかしなことになると想像できるでしょう。
人体の内部を満たす気血津液も、まるでこうしたマントル流のように常に適切なスピードで適切な量がくまなく循環することで健康が維持できています。
体内を巡り続けることでかき混ぜられたとき生命エネルギーや血や津液の営養や免疫や潤いが行き渡る仕組みです。
ですが人体を臨床で数多く触れていくと、上半身は熱せられ下半身や手先はひんやりとしている人もいれば、手足は熱さでほてっているが胸や頭部は冷たい人がいます。そこからわかることは気の循環する作用が弱まるなどの障害により気が偏って滞り続けた状態だということでしょう。
そうした気から熱を持ち機能亢進をさせる陽気と平常体温より冷えて機能低下をさせる陰気という病的な気の偏在が診られているのです。
こうした上下に陰気と陽気が分かれているときは判別がしやすいのですが、陰気が内部の大勢を占め陽気が皮膚層にあるものと、その逆に陽気が内部に大勢を占め陰気が皮膚層の外部を覆っているパターンも存在しております。
これらは全体として気虚や陽虚、血虚や陰虚などで当てはまるところもありますが、実態として体の中の上下にわかれ上半身は気虚で下半身は血虚の病症が診られることもあります。つまり様々の証がひとつの体の内側に複合して存在していることも珍しくはありません。
するとなにを先に手を付けて改善をはかるかを優先順位付けをすべきですが、陽虚の薬を陰虚を含むものに不用意に出せば陰虚により副作用の発現があるなど使い分けが難しくなる状態を多くの慢性的な生活習慣病を患われている方は持っておられるというのです。
それではここで、こうしたそれぞれの気の偏在する様子の4パターンを絵でわかりやすくお伝えいたします。![]()
(気の偏在図)
ちなみに私の知り合いには、上図の降証および散 証が入り混じった方がおられます。ひとつの証でも自覚は難しくなるものの、ふたつ以上の証が入り混じったら、冷静に症状から気の偏在する位置を読み解こうという作業をする発想は消えてしまい、なにがなんだかわけがわからないといった思考のまとまりづらい状態に陥ってしまいます。するとどの食薬や中薬がいいとか、どの漢方処方を手に入れるべきとか決めて試しても、成果が比較的少なくでてきたり、相反する温熱や燥湿の処方から副作用が少なからずでてきて苦しむこととなって、よほど薬剤の性質を知ってそうなることを見越して摂ったか、先生を信頼しているかしなければ、中期決戦も難しく継続できずにあきらめる結果となることが多いように感じます。でも自身の状態が先行して降証および散 証が入り混じったものとわかって、性根を据えて取り組む気合があれば、やがては良い結果を享受することに落ち着いてくれればと願っているところです。
降証: 下るべきでないものが下り、上がるべきものが上がらないための症状: 上寒下熱、低血圧、いつもだるい、いつも横になりたい、体力ありの元気なし、嗜眠、胸がドキドキする、帯下が多い、 流産ぐせ、下部出血、生理の量が多い、尿量が多い、下痢
散 証:出るべきでないものが出たり、出るべきものが出過ぎるための症状:
気が散って集中できない、不眠、体が冷える、多汗、寝汗、不正出血、痰が多い、嘔吐、生理の量が多い、帯下が多い、尿量が多い、下痢
さらに気の偏在の詳細をお知りになりたい方は
『図解・症例漢方とは何か人間とは何か』という書籍のP51 気の方向性 をお読み下さい。
それぞれの気の偏在パターンごとの詳細な症例が掲載されております。
書名等を明記したうえで引用させていただこうと思いましたが、
引用というには文章量が多くなって引用許諾を必要とされるかと思い、参照書籍のお知らせに留めました。
この本、カラーページも多く見やすいし理解を助けてくださる内容のまとまりもあって気に入っています。
気になった方がおられたら、書店でぜひチェックなさって下さい。
気が偏在することとは、ひとりの体の内側に様々な病証が混在しているためには上から下まで表面から裏面までと状態を調べてみえてくることです。
本人の自覚する症状を伺うことで当たりをつけることができ、それを施術であれば術者が、患部やそれ以外の広域にいたり手で触り熱やちりちりなどを、気の偏在を疑わしい場合にはそれをあきらかにする意識で探索する必要があります。異性のお客様には特に直接、皮膚に手を当てにくいところもあり、服の上からも熱感を感じ取ることができる手を訓練で育てておく必要があるでしょう。これは意外にやってみると訓練次第できっちり見分けがつけられるようになるのが人体の不可思議なところ。
ただし漫然と触れていたのでは気の偏在は見分けられません。というのも気の偏在があるという実態を知る前にも全身の熱感の差異から気血の偏在があるのだろうなと思っていたものの、友人の施術者にそうしたことをいったら気にしすぎだぞとたしなめられた記憶があります。互いに若かったときの思い出ですが。。気にならない人は、まったく気にならないんだと知りました。
結局、手技での気の偏在への対処は試行錯誤を通しできなくもないが、その影響は表面で留まり、多少に尽きるという結論を導き出しました。実験的に何度か知人を被験者にして様子をみてきたので、私の力量不足もあるかもしれませんが、整体各種の本、西洋手技療法の本はほぼ書店にあるものは目を通し切りましたが、気の偏在に対応するような概念への対処法を解説はしていないかと思われます。一部、整体上で経絡を活かした手技療法にはそれと類推するものはあっても直接的な図解はなかったため、そうした扱いだったのでしょうか。
それが中医学では、この場合はこうして対処しますと、数ページにわたり紹介していたので、目を通したとき、こういうのをもっと早く知りたかったと喜ぶと同時にくやしい気持ちも現れるほど。
意外にこういった施術でちょくで人体の理解を深めて手技のもちい方を大きく最適解へと導き出してくれる内容が中医学のテキストに描かれていることは少なくありません。
手技に精通していて、手技の不得手を補う技を見つける目がなければ、それとは気づかずに暗記科目として頭に入れるに留まるかも知れません。その意味でも手技をやってきてから中医学を学ぶことは、縦糸に緯糸を入れて編み込むような作業にも似た成果が期待できるように感じられてなりませ