『コレに気づいた次の日から魂が救われていく【斎藤一人】』のYouTubeより、「しあわせにならなきゃいけないと、真剣に考えなきゃならない」

コロナ前からも、少子高齢化と経済の流れの停滞と上がる税など。。。
コロナ後からは、それらがさらにきつい状況に置かれていました。




こころのささえが必要になる。




私は音楽をかけながら作業するのが飽きると、
斎藤一人さんのYouTubeを任意に聞くことにしています。

そんなとき「あっ、この教えはこころに届く。。。」
そう感じたときがありました。

それが以下に貼り付けた映像ですが、
お時間があればみてください。

25分間の映像ですが、映像始まりからの6分間です。
「しあわせにならなきゃいけないと、真剣に考えなきゃならない」
というメッセージ。




コレに気づいた次の日から魂が救われていく【斎藤一人





私も「しあわせにならなきゃいけないと、真剣に考えなきゃならない」というメッセージの通りに、
自分なりの幸せな気持ちになることを追究したいと思いました。


個人的なことで恐縮です。
昨今、施術がハードなこともなく、
各人の施術前の施術研究をご用意する前課題を自分でこなしても十分な休息が取れます。

ひとりひとりのお客様のお体の状態を把握できている範囲で、
次にお客様が来ていただいた際はこの部位を解き進めようというポイントを10~15か所ほど用意しています。
施術は、その上でお客様の要望していただけたところをあわせてセッションをおこなうので、
施術の手を止めてしまうことなく、次から次へと流れるように施術部位を計画した通り解いていく感じです。
それは、私はすでに脳内で施術のシミュレーションを3回ほど繰り返していて、
あとは実際の身体面で解きづらかったり解かなくてもよかったりなど、状況を見て進めていき、
「本日は、これで施術を終わりにさせていただきます」という施術終了の言葉へとつながっていきます。

この下準備が十分できていないで場当たりで施術をすると、深いところまで解くのは危険だからやめるべきで、
実際の施術成果はいまのものの1/3程度に下がるものとなります。

仕込みがあってこそ、なんですね。
おいしいレストランの料理も、施術も。 ^-^


施術量とは私の場合、この下準備部分を含んでいるため、
単純に施術でお客様に接しているときのみが施術じゃないのです。



こういった下準備が少なくなっていつつも、
少しずつは施術をさせていただけているというのは、
私にとっていちばん進化がスムースにいくペースです。
経済的なことを考えると、これは由々しきというところでもありますが、今はそうして過ごす時期です。



このペースが手伝って、最近、自身の身体上、変わってきたことを感じます。

カラダを使うイメージをつかみ取り自分なりに工夫が進んだこと。
それにベン石温熱器や排酸棒でのセルフワークが的を得て深部の微細な停滞した血管部分をほどくことも進みました。

そのおかげで、カラダの奥に潜ってしまい、解決すべき課題としてあきらめていたような、
開けることができないパンドラの箱がいくつかあけることもできてきました。
その箱が開く前は、硬いボールを強烈な力で圧迫し破裂させる力で切り替えが起こるため、
反動や揺れがひどく襲ってくるもので、施術をしつつそれに耐えるというのは不可能なことでした。

いまの年齢的に衰えが進む年になって、
はじめて動ける体が整えられてきている実感をもてたというのは。
身体について研究し続けてきた成果を自分に還元できた。
それはよろこばしいことです。

施術家は、自分の身体感覚の上限が施術上でお客様に配れる施術だといいます。

自分の身体の内側を見る目、感じる感覚が透き通ってわかってくる。
そこの「見えてくる」ものが、お客様の状態を読める限りなんです。

見えてもいないものを治療できるわけがない。


そういうところがわかっていて、身体上のバージョンアップはしたかったんです。



それがかなえられたところは、「心底しあわせだな」。




余談ですが。
『21世紀は江戸時代 開府400年 まち・むら・自然の再結合』という本を図書館から借りて読んだのです。



江戸末期に日本に来たアメリ公司がみたこと。
農作業を村人たちが力をあわせてするとき。
ひとつの作業をするたびに一節の歌をうたが出て手を止める。
そこに西洋式の合理的な無駄な時間を消して生産性を上げる意識がある外国人の眼からは、
歌をよせばもっと多くの作物が手に入るだろうに、、、と感じられたそうですが。
だがそうした非効率的な農作業をする貧しき農民が、充実し生命の息吹を放って働く様子から、
西洋で工場で流れ作業をさせられて生産をより多くと迫られるものとは違ったものを感じたといいます。

そこに日本人にある労働への意識があると認めていました。



いつしか私たち日本人も、西洋式の効率化を求めるようになりました。

おかげで今の経済的にも豊かな日本があります。
ありがたい豊かさを運んできてくれました。
それは貴重で日本人のまじめな器質だからできたところでもあるでしょう。


ですがしあわせだなと感じるよう農作業をするときのように、
ひとつの作業をするたびに、
人に対してのやさしさを立てる歌を一節、
仕事はたいへんだけど家族をこれでささえられるという歌を一節、
、、、、。
江戸時代の農民たち。
手作業ばかりで重労働な仕事を止まらずにつづけられたのも、
仕事がたのしさがあり充実していたからだろうか。


非効率的で生産管理上のダメ出しされそうですが、
ゆっくりと仕事をたのしむ。

人生100年で仕事を健康寿命分労働をする必要がある私なので。
健康を維持しつつ長く仕事を続けていくためには。
江戸時代の農村での農作業を見習うことがいいのかもしれません。



コロナの今は、考える時間が多くなり、深まりますね。