身体を研究していく喜びと意義

クライアントのなかには、スポーツ選手や同業者のウエイトも多い。
すると話をしていて、かなり突っ込んだ話をする。

体について話し合うとき。
まさに我が意を得たりという反応が返ってきたとき、
ワーカーとしてというより、一人の話者としてよどみなくわき出る清流の源のように、
言葉が生まれ出ていく。
楽しく話ができる。

体について関心をもったもの同士、究めていく事が喜びにつながり、
日頃の考えや思いが交わせるとき、すばらしいアイデアが飛び出す。
自分の意識の流れが促進される場。
せわしくなくなった今、場はチャットに変わったが、
やはり会う事がないと寂しいです。

  • -

その身体研究者に向けられた、よくある質問。
「そんなに身体のことについて理解して、何がしたいの?」という質問がなされる。
僕の場合、「仕事ですから」。
でも他業種で無心に趣味で体を磨いている方々も多い。
いずれも身体に起こる腰痛や肩こりなどの不快感をぬぐい去る以上のことを求める人々。

きっと周囲からみて呆れられている方もいるだろう。
だが僕は身体について学ぶ事が、『生きる事の質』に関わると信じているので、
その質問を投げかける事自体に疑問を持つ。

誰だって動物として生命を受け、親から肉体を受け継いだ。
肉体は、この世に生まれついたときにいただいた唯一の財産だ。
それを大切にして、研究していくスタイルは尊いはずだ。
そのような心持ちになっていないとき、「そんなに身体の〜?」となる。
そう思いませんか?

  • -

視点を変えてみよう。
ユーザーという言葉も、一般化しました。
パソコン使い手を、パソコンユーザーのように。

ボディについても同様。
僕は『ボディユーザー』という概念を持っています。