斎藤一人氏のCDを繰り返し聞いてます。
・自分自身の機嫌をとろう
・困ったことは起こらない
など印象的な考え方が散りばめられていました。
自分で自分の機嫌を取る。
これは『俗に言うプラス思考』とは趣が異なります。
似ていますが仕組みが違うようです。
一般のプラス思考の場合。
モチベーションを高めるため、
自分が取り組む問題に勝利するイメージを持ちます。
または植えつけます。
プロスポーツ選手が、
土壇場で負けない粘り強さを発揮する原動力にもなります。
それに対して「自分の機嫌を取る」とは、
斎藤一人氏いわく
「『ついてる、ついてる』といいましょう」
という提案です。
機嫌の悪い人が近くにいても『ついてる、ついてる』。
相手の機嫌に合わせて自分も機嫌が悪くなるのではなく、
自分は自分の都合で機嫌が良い。
自分の機嫌を取るために『ついてる、ついてる』といいましょう。
というのですね。
「自分はついている」が身についたとき、
素敵な変化が起こります。
困ったことが起こっても対処できるようになる。
そしてあまり困ったことが起こらなくなります。
起こることすべてが幸運の種だと思えてくれば、
感謝の気持ちは生まれ出ます。
困ったような問題をラッキーな種にすり替えられている。
困った感が減っていきます。
ようするに困らなくなる。
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たとえば・・・。
エクササイズで肉体を変容させる場合。
大きな変化には『摩擦』が起きます。
首のしこりがごっそり緩めば、
いきなり喉が締め付けられて息苦しくなる。
目眩が起こり視線が定まらなくなる。
意識がぼーっとして不安でしょうがない。
いつもの枕があわなくなり、
寝つきにく睡眠が浅い。
よくなるためのエクササイズが、
あたかもそれが裏目に出ている。
後悔してしまう。
首の締めつけが気になりだしてつらい。
人体には患部の問題が解決されるまで、
患部がクローズアップされる仕組みがあります。
痛みは意識の集中により増幅されます。
不安が乗じて患部と全身に緊張が走る。
精神的緊張による筋収縮作用ですね。
緊張はより強い不安を呼びより強い痛みを生じる。
これにつかまるととにかくつらい。
外見上はすでに患部の症状が改善して、
さほど問題もない状態になっていても、
患部の小さな不都合をクローズアップ。
小さな苦しみも大きな不快へと変える。
自分がついていないと感じるならば、
『あぁ〜あ、なんて自分はついていないんだ』
と落胆して緊張が抜けなくなります。
精神的緊張が引き起こした、
余分なものを背負っている。
精神的緊張レベルが減れば、
余裕でつきあえるときもあるのです。
そのときについてるモードの人はこう考えます。
『自分はついている人間だ。
正味の患部の痛さは一過性。
嵐は直に止むに違いない。
問題などは起こらない。
問題が起こったらそのときに対処すればいいだけのこと』
余計な心配は恐怖心をあおるだけなのです。
得体の知れない恐怖心には、
本能的に人間は縮こまりおびえるようにできています。
ついてる思考の人間は、
この恐怖心に負けないんですね。
小さな傷口を自ら大きく開こうとはしないのです。
プラス思考で乗り越えることもできます。
でも気張らなければなりません。
マイナス思考を排除する戦いに勝たなければならないのです。
そのときにいささかの緊張感も感じないならばいいのですが、
そうはいきませんよね。
微笑みながらプラスの暗示をかけるのは案外難しい。
ですが「ついている思考の人間」は、
恐怖心に打ち勝つことができます。
はじめから肩肘張らず気張らない。
「ついてるついてる」とルンルンしていると、
程よくガス抜きされています。
『あぁ〜、おれはついているな〜』
『ちょうどおれはこんなに頭が痛いんだ。
人生の苦しみを語った物語を書くには持ってこいだ』
と頑張って書き物をしていれば、
先程の痛みは微塵も響かない。
だから次の高さに突き進んで行けるのです。
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そういうことを斎藤一人氏はいってるのでは?
氏の表面上の言葉を捉えれば矛盾もあります。
ですが聞き込めばおっしゃる意味が解ります。
・・・と氏のCDを繰り返し聴き感じました。