治病について。
中国の東洋医学的考ええでは、
『標本一致』というそうです。
『標』は表面。
表面とは陰陽でいう陽。
体の表面に病の症状が現れてきます。
『本』は裏面。
裏面の陰に隠れた部分(陰面)のことを指します。
体の表面に出てきた部分よりも、
裏面の静かに陰に隠れた部分の陰の働きを重視します。
植物の草でいえば、
『標』が地上にある草の部分。
『本』が地下に埋まって静まり返る根の部分。
地上の草を刈り取ったとしても、
根の部分が残っていればまたはえてきてしまう。
いくら草刈りをしても終わりがありません。
『標』の部分を手がかりにして、
『本』の部分を見つけ出します。
それが『標本一致』です。
『標』の部分で目立った動きのある症状を見つければ、
それに向けて早く治そうとしてしてしまう。
「ここがつらいんだ!」
というところが『標』です。
正確にいうと『標』の実が強くなっているところといいます。
だからその『標』に攻撃を仕掛けて治そうとして、
押したり揉んだりつかんだりしてしまう。
すると『標』の実がより強くなる。
腫れ上がり長引き悪化します。
ですが『標』の影には『本』があり。
この『本』を突き止めずにいては成果は上がりません。
静かに地中に埋もれて息をひそめる『本』。
これを引っ張りだそう。
面白いことですが、
『本』を引っ張りだしてバランスをとったとき、
『標』の実が強度に出っ張って腫れ上がりが引く。
別段『標』に手をかけなくてもそうなるようです。
『標』は『本』の存在を教えてくれる警報機です。
だから『本』を引っ張りだすために努力をするものと、
『標』を討ち、また討ち、そしてまた討つものと開きがでるといいます。
『標』のみを討てば『本』という根が残り、
必ずまたはえて終わりがない。
繰り返される症状。。。
終わりなき苦痛。。。
そこには『標本一致』を観ているかどうか、
にかかっている所もあるはずです。
かなりこの見立ては年季がいって難しいもの。
本来は私のワークほどに丁寧に行わなくても、
『本』を見分ける力がつけば効率的にさばけるでしょう。
仙腸関節だけや第一頸椎のみで治せるのが『本』とは思えませんが。。。
『標』を討ち続けるようなことはしませんが、
『本』を探して陰をひねり出して探し求める。
そのような作業工程です。