まず第一歩目のワークを志す方の注意点。
ワークでは記憶すべきことは多いものです。
解剖学やら生理学や手技テクニック、身体操作法なんかは代表的な一部。
それ以外にも多くの項目に関して興味が膨らむ必要があります。
ただ個人的な意見ですが、
テキストを参照してもいい記憶要点は
テキストをみながらでもいいでしょう。
意外に覚えたことも記憶忘却曲線通りに忘れるものです。
それに覚えたはずの記憶がいつのまにか他と
ごちゃごちゃになるなんてことはたまに起こること。
それよりかは一回ずつワーク経験ごとにテキストを観る。
確認していけば正確な記憶を手に入れることができる。
いずれテキストを開くのが面倒になる。
自然にそういう気分になります。
すると記憶したくなる。
このときに記憶すると正確な記憶が長期間保持されるようです。
ワークをするときの復習に継ぐ復習。
テキストは先に目を通しておいて必要な事項が
どこにあるかを記憶しているのは最低条件です。
そうしなければ身内にワークをさせてと言う資格もありませんから。
実は、数冊の分厚いテキストを見せてこれくらいは覚えておいてね、
というとその時点でボディワークに対しての関心が消え失せるもの。
そのような方を何人も観てきました。
大変残念なことです。
『記憶しなければならない』というプレッシャー。
それを跳ね返す情熱は必要です。
プロ志向の方なら燃えていますから大丈夫でしょう。
ですが自宅で家族の健康維持促進をする目的ならば
そこで諦めてしまうことがほとんどですよね。
記憶力に自信があればいいですが、
「そうでもない」ときは負担です。
ワーカーが横にいて厳しい目でミスを突く。
針の筵の上に座るようなことを想像します。
真剣みがないならやるなという意見もあります。
それも正論です。
ですがやりたいかどうかは法律の範囲内であれば、
本人の自由意志に基づく側面もある。
実はワークをする側を経験するのは、
「なんて素晴らしい身体システムを私は持っているんだ!」と感動するための
『きっかけ』なんです。
他者へのワークをきっかけにして、
自分の肉体への興味と関心が深まる。
科学社会は対自然として捉えていたが、
自分の身体の中には自然法則と一体化していたと気づく。
もちろん免疫力が強まり若さや生命力が発揮しやすくなる。
そのような目に見えるメリットもあります。
逆に下手なことをするとそれがそれらが確実に損なわれますから、
良い面ばかりではないのですが。
それは修行を楽しみ進んでいけば進歩していきます。
他の技術もそうでしょ。
初めからプロ級なんて幻想です。
そして初めからプロ級でなければ「ダメ」といえば、
私たちは儲かります。
だけど各人の自助精神の芽を摘むことになるのです。
それではいけないと思う。
他の人の身体に触れて健やかな改善を思い願うとき、
思いやりの心を深め育ててくれる。
私のような人づきあいが苦手なものでも、
ワークをきっかけとして多くの人と親交を持てるようになった。
ワークをすることで人と向き合う姿勢からできたお蔭です。
本当にありがたいことです。
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で、本業でボディワークのお仕事をする人はわかりますが、
この『テキストを記憶すること』は一部の作業でしかない。
私事ですが...
ホテル・リッツ・カールトン風のボディワークに関する
クレド(心得)を書いている。
人に見せるものではない。
初心を忘れないようにするためにいくつかのシンプルな項目がある。
・〜成果を4倍にするための方法を考えよう〜
・安全性は最優先に考える。(=事故危険性があるものを知り尽くす)
・毎回ワーク中で身体捌きの工夫をする
とか、その他いくつかあるのです。
各人が自分なりのワーカーになる基本姿勢を明らかにすること。
初めは内容は人それぞれでいい。
でも経験を積んでいくに従い、
『すぐにでもテキストを記憶せねば』よりも
『テキストは時間をかけて観察し理解して応用する』。
そのような文言へとクレドが変わっていくはずですよ。