もっとも身近な神と仏は身体だと思う・・・

もっとも身近な神と仏。


それはなに?


神仏はどこにいるの?


そんなことを子供のころに考えていた。


とても落ち着きのある子供だった。^-^;


神仏とはずっと遠くの世界にいるもの。
そのような感覚があった。
そこには精神が研ぎ澄まされるといくことができる。
どこかのえらい僧侶や純粋な偉人たちだけが近づける。
そういう遠くの存在に感じていた。


自分には多少無縁な世界だった。


だが過去熱をだして寝込んだときに、
ふと「神仏が具現化したのが身体だ」
そんな言葉が聞こえてきた気がした。


神仏に一致するためには身体が心と精神とともにある。
そのためには自分の身体を大切にシナケレバならない。
そのようなごくごく当たり前のことがつぶやかれた。


この世という波をわたるための舟が身体。
身体こそ身近にいる神仏そのものであると感じた。
ありがたいもの、かけがえのないものだと感じた。
神仏とともに生きている。
そう生きた実感を感じたい。


身体は楽器のように音楽を奏でる。
身体は鳥のように舞い踊る。
さまざまな要素がそこにあわせられている。


身体が自分の心のままに一体化すること。
そのための方法を知りたくなった。
それが神仏と心が遊離せず一体化するよいアイデアのように感じられた。
そのときにボディワークという道具に関心を持ち始めた。


身体の機能を修正改善することも大切です。
そしてその次のステップまで進む。
身体と心を一体化するのが目的です。
両者をうまくコントロールしていく。
そのためにはどうすればよいだろう。


そうするためのアイデアがいろいろ詰まっているのがボディワーク。
そのような捉え方。


自分にとって自分の身体は神仏と同じ大切なもの。
そして街角にも多くの身体という神仏と一体化した人々がいる。
そう考えると楽しく思えてくる。
また仕事中のワークのときにも、
身体に対しての尊敬の気持ちがある。
それはやりがいに直接つながること。


だが渋谷とか池袋とかいくと、
神様が多すぎてクラクラッとして酔ってしまう。^-^;
逆に自らの身体をいたわることができない状況、
忙しさなどの中で生活しなければならない矛盾。
心が身体と遊離していくことは神仏との隔たりをつくるのだろう。


信仰深い人はよくよく養生を心がけて、
自他の身体をいたわり徳を積むものだと思う。