テレビでとある発想力が優れている中小企業の製作所が取材されていた。
新人採用のための試験は、
手先が器用なこと。
段取りよく仕事ができること。
そのような能力の有無をみるために試験をしていた。
テレビでとある有名な宮大工の棟梁が取材されていた。
新人採用のための試験は、
不器用なこと。
段取り悪く仕事がうまくできないほうがいい。
そのような能力の有無をみるために試験をしていた。
前者の製作所と後者の宮大工では、
新人の採用基準が正反対的に違う。
だが両者とも鍛えればものになる新人を育成する
業界の要件を把握した上での採用条件だろう。
たとえば宮大工の棟梁が語るには、
器用な子はすぐに教えられたことができてしまう。
できればそれで十分な仕事ができる。
不器用な子は教えられてもいつまでもできない。
できないから長い時間その仕事について考え続けて
突き詰めて仕事の取り組み自分の能力を向上させていく。
宮大工が取り組む寺院仏閣では長い年月朽ちたり撓んだりしない木を見抜き、
細工していく必要があります。
重要文化財は偉大な知恵と工夫の結晶です。
膨大な巧みの技術を伝承しなければならない。
気の遠くなる作業です。
促成できないものです。
不器用な子であれば、
できるまでにじり寄るしかない。
ものになれるかどうか不安でしょうがない当人。
半端でないほど正面に向き合うしか生き残れない。
そしてものになるまでふがいない自分に苛立ち苦しみ続ける。
不器用な自分を受け入れて
歯を食いしばりあきらめず続ければ、
いつかものになることもあるでしょう。
あきらめればそこで終わる。
施術をする先生にも、
器用な人と不器用な人がいると思う。
私は不器用の部類に属すため、
不器用な子ががんばる姿に深く共感しました。
『器用なほうがいいか、不器用なほうがいいか?』というよりも
器用ならば器用なりの、
不器用ならば不器用なりの戦い方があるということなのでしょう。