「気枯れ」考

身体の内側には、気を体中に巡らすようなシステムがあります。
たとえば、経絡もそんなシステムのひとつです。


体の中の12経絡を、
一日を掛けてゆっくりと巡ります。
肺経(午前3時〜午前5時)から始まり、
大腸経(午前5時〜午前7時)にと、
各経絡の中を順繰りに気と呼ばれるエネルギーが周る仕組みです。


それが肉体や精神のストレスやダメージが蓄積して、
上記の気の流れが悪くなってしまうことがあります。


肉体的ダメージとは、怪我などもありますが、
筋膜の癒着による体内の血管やリンパ管、神経などを圧迫し、
血液等を流せなくなることもあるでしょう。


精神的ダメージとは、仕事のストレスもありますが、
過去のトラウマや自分を縛り付ける信念などもある。
焦りはストレスになりますし、
恐怖心やあきらめなどネガティブな感情も。
精神的な緊張などは、自律神経を通じて肉体に実際に筋肉の弱化を生じさせます。



そうすると、「気枯れ」した状態に陥ります。


神道では「穢れ」といいましょうか。


穢れ(けがれ)<--->気枯れ(きがれ)


気枯れした様子では、なかなか元気にはなれません。


ですが自分が少しずつ気枯れが強まり気づいたら自分だけでは後戻りできなくなっていた。
体の内側で流れる気の通り道を塞いでいることに気づけなくなっています。
そしてもともとが人体は自らが太陽のように光を発している存在としての
気の源、源流であることにも気づけなくなってきます。


元気な赤ちゃんを見ていると、
気の泉がわくがごとく溢れでてくる生命力を感じます。


私達、おとなも、
いまも気の通り道を開けて流れを良く出来れば、
元気な赤ちゃんのような気の源泉を自らの内側に見いだせるでしょう。


気の光源が内側にある魅力的な人物です。


そんな存在でありたいですよね。



ですが、もしも、
筋膜が癒着することが多ければ、
筋膜内を気が通ると中国ではいいますので、
気が滞り、気が詰まり、
そして気枯れていく。


隆盛した大木が、数本のつた植物に絡みつかれて締め付けられ、
やがて大木の水を汲み上げ通す幹の力が失われて朽ちていく。
それが私の気枯れのイメージです。


そういった気の通りが悪くなると、
自律神経を通じて問題が生じます。


肉体疲労が寝ても抜けなかったり、
脳の疲れによる思考力低下からヤル気がわかない。
各種ストレスに弱く気が萎えやすくなり、
働いていく自信が持てなくなったり。
姿勢が悪くなりうつのような状態に陥ることもあるようです。
不思議な話だが、チャクラがふさがっているようにも見える。


気枯れ、のデメリットは上げればきりがないほど。
他にも様々な問題を生じさせるやっかいな状態です。


職業柄、気枯れをした状態かどうかを、
瞬時に見分けることができるようになった気がする。


「ここ、不調でしょ?」と、
言って驚かせたりすることもある。
逆に、
「今日は、いいですね!」と、
直感的に思えて口走ることもある。


体感覚で伝わってくるので、
どうして?といわれても厳しいが、
体の内側に流れているものを感じているようなのです。



体が存分に生かし切ってる人の気と、
気枯れをしているときとの差をみて、
この差をどのように埋めればいいか?
そんなことをとっさに考えています。



気で体の隅々が満たされていて、
その気は体の隅々まで流れることで
清らかさを保つ清水のような仕組みです。


穢れのない状態です。


そんな気が磨かれた状態ならば、
他の気とよく馴染み繋がれ伸び、
広く協力しながら共生できます。


私は現時点では、
体の筋膜に絞った対応に磨きをかけていますが、
これこそ気枯れを予防して改善させるためです。
まずはここをきっちり押さえて把握し切りたい。
個人的には、ここが勘所になると直感している。
施術も手伝い気枯れが去ったあとの方をみると、
直感は当たっていたと思う。


気枯れがクリアになれば、
次により積極的なアプローチとして、
自らの内側にある気の泉を感じ取り、
生きていけるようになりたいですね。


体の軸の歪みを解消させる過程で、
自分軸の確立というところにも手を伸ばして。


気枯れを脱した人生と、
気枯れをしている人生では、
どこか違いがでてくるはず。


気枯れを脱したならば、
ライフイメージに自信を持ち、
困難も余裕を持って受け止め、
解決へのプロセスを楽しめる。


そんなこととなるための、
役に立てる仕組みが作れれば、
とてもうれしいのだがと思う。