質量を持たせた施術学習:施術用ベッドに人体骨格模型

施術用ベッドのうえに、
人体骨格模型を置いて、
施術のテキストを読む。


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臨場感が出て記憶に残る方法です。
人体骨格模型を見ながら学習する。


すると本だけを見て学習をすると、
その本が記憶のアンカーになるが、
人体骨格模型を見ながらにすれば、
記憶を思い出すきっかけにできる。


施術中に人体骨格模型を、
横目でちらっと見ていく。


すると本の内容を思いだしやすくなるんですよね。
瞬間に覚えているときの状況を想起しやすくなり、
記憶のロープに手を触れる感じです。


施術用の本を字面に目をやるだけでは飽きていく。


すでに頭に部位の概念が形成されていればいいが、
そのような知識を得て操作する取っ手がなければ
水をてのひらに貯めるかのように指の隙から知識がこぼれ落ちていく。


スケスケの人体骨格模型のなかは
立体空間を見て取ることができる。


たった一ページの、
肺経の解説ページ。


haikei-txt.jpg


ざっと読み飛ばせばわけもないことですが、
何度も何度も繰り返し読み返してはいるが
これがまた、記憶に残らなくて困っている。


たとえばそのような経絡の学習でも
骨格内を通る経絡が体表に出てくるところを指差し確認風に作業をして頭に体感で書き込む。
すると施術中に人体が透けて見えてくるように感じられ使える知識に定着してくれます。


テグスや針金で経絡線の通り入れて見る作業をすれば、
そんなワークショップだってあっていいんじゃないか。
そのような気さえしてきます。



知識を得るときに現物をみなさい。
臨場感があれば理解が助けられる。
それは『基礎からわかる勉強の技術』という本でいう、
文章だけでは<質量が欠けている>ことによる学習の障壁が起きるから、
質量が感じられるようなイラストや絵、または模型や実物などを用意し、
質感を手触りや視線の配りというものから右脳的に獲得していくべきだ。
そのような解説をイラスト入でしてくれていて、
ふむふむと納得したことがあります。


それ以来、
時間と労力と費用をかけたとしても、
「手を使い目を配り作業をする」ことで
右脳落とし込みを確実化して記憶定着。


この作業をしたことがあるかどうかで、
等身大の奥行きを持つ距離感を掴めば
体の知識獲得も、ここから芋づる式へ。


ただ、このたび、
紙粘土をダイソーでいくつか買い、
筋肉を作れはしまいかと考えたが。


紙粘土の質感、資質では「筋肉」とは違いすぎ。
乾いているし粘性ないしニスを塗ってもなんだか。。。
筋肉はそういうものだと手の触覚に思わせるとまずいなと思いボツ。


高額ではあるが比較的安価にこの作業をするには型取り用シリコン。
半透明のものもあるそうだし、もし粘性が高めであったなら感覚に
しっくりくる。



予算や臭いや危険物であり未体験者であるため、
少し気後れしていますが数本の主要筋だけでも。
そう考え、いずれ東急ハンズに見にいきたいと。



身体内部は皮膚に覆われて見えないものです。
それを質量を持った模擬シュミレーションで、
実体験化できるようにしておかないと。。。
新たな施術技術を本で学ぶようなとき、
質量感を等身大でもたせられるか。


これも休業中にしておきたい重要な作業のひとつ。
脳で分析した透視による見える化は誤差が大きく、
それよりも具体的な等身大モデルで触る経験では
筋肉の厚みの捉えも硬度の推測も筋肉学的に測りやすくなるはず。



手先が感覚的にそれを味わったことがあるような、
そんな体験をさせていければ、
子どもだって、
体の神秘や合理性や機能美を、
新鮮に興味深く感じ取るはず。


私はそう信じています。
ただ皮膚の下の世界が、
整理して見えづらくて
ブラックボックス化。
得体のしれない遠くにある感じがして、
自分の足元にあるものなのだがわからずじまい。


それは健康維持したい方や
スポーツをする人にとっても、
大変にもったいないことでしょう。


体の基本という道がわかれば、
迷わずに、自信を持っていられます。




私が主に施術で解いていこうとする部位は、
体表部分のみならず深層部を目指している。
体の骨格の内側が透けて皮膚から内部まで
距離感が把握しやすいのはいい。
施術精度もあがるし見立てがよくなる。
そうした外郭のイメージを明瞭にする。



見える化は、思考をシンプルに直感的にしてくれる。
今まで、ここまではしていなかったことをおこない、
深層筋の質量をリアルな感触でアクセスしていって、
深層部まで安全で快適に緩める方法を見つけたい。




これが、目的です。




本当に、この人体骨格模型で観ると、
深層筋だといってもわずか数センチ、
皮膚から奥にあるだけのものなのに。


そのわずかな数センチの厚みに苦心。


そう考えると、内心、筋肉の凝りも、
どれもこれも、自然の理から産まれ、
必要のもとに、いつづけているため。


圧ばかりをかけてみたとしても、
頭打ちとなることもあるのだろう。


心が頑なになり、筋肉が頑なになる。
心が虚脱すれば、筋肉も虚脱する。
そのような相関を乗り越えてがあるのですから、
筋肉にばかり焦点を当てていても完成しません。


そういう面の深い見方をしていくことも大切で、
心がフローな状態では筋も緩むようだというし。
フロー体験をいかに生活に取り入れるか。
それが、筋肉を若返らせる尽きせぬ源だ。


そのようなことを考えたりもいたします。



試作したり、思索する必要もありそうです。